高葛陂 From Wikipedia, the free encyclopedia 高 葛陂(高 葛坡、こう かっぱ、1724年(享保9年) - 1776年9月20日(安永5年8月8日)[1])は、江戸時代中期の漢詩人・儒学者。名は峻。字は伯起(たかおき)、維岳、道昂。通称は嘉右衛門、小左衛門。葛陂(葛坡)は号。別号は伊斎。先祖は明代末に日本に来た中国人。晩年に姓を王に改めた。 1724年(享保9年)に大阪で生まれた。育ちは江戸、下総葛飾。石島筑波に師事した。 父の死後、定住せず各地を放浪。放浪の間に京都を何度も訪れ、富小路二条上ルにて私塾を開いた。私塾には池大雅・与謝蕪村・大典顕常・菅茶山などが通っていた。皆川淇園・龍草廬・岡崎盧門・韓天寿・高芙蓉など当時の著名な儒学者・漢文学者との交流があった。漢詩を収めた『葛陂先生枖杜集』を著したが、著書の多くは残存せず、儒学者としての業績を知る資料は少ない。 脚注 ↑ 『日本漢文学大事典』明治書院、1985年、p.221。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks