高野神社 (津山市二宮)
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| 高野神社 | |
|---|---|
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社殿 | |
| 所在地 | 岡山県津山市二宮601 |
| 位置 | 北緯35度03分33.43秒 東経133度57分52.03秒 / 北緯35.0592861度 東経133.9644528度座標: 北緯35度03分33.43秒 東経133度57分52.03秒 / 北緯35.0592861度 東経133.9644528度 |
| 主祭神 | 彦波限建鵜葺草葺不合尊 |
| 社格等 |
式内社(小)論社 美作国二宮 旧県社 |
| 創建 | (伝)安閑天皇2年 |
| 本殿の様式 | 中山造 |
| 札所等 | 美作三大社 |
| 例祭 | 10月25日 |
| 地図 | |

祭神
歴史
創建
社伝では、当社の祭祀は吉井川の河原にあった碫馭盧岩(おのころいわ)に始まり、この岩を磐境として祀っていたと伝える[2]。のち安閑天皇2年(534年[注 1])に社殿が創建されたという[3]。
概史
平安時代中期の『延喜式神名帳』には式内社として「美作国苫東郡 高野神社」の記載があり、当社をそれにあてる説がある。当社は遅くとも平安時代後期から美作国二宮として栄えていたとされ、当社を比定する説は多い[4]。ただし当社の鎮座地は苫西郡であるため、苫東郡に鎮座する高野神社(津山市高野本郷)をあてる説もあり、両方が論社とされ結論には至っていない。なお『延喜式神名帳』国史大系本には「カウヤ」と仮名が振られているほか、『宇治拾遺物語』には当社に関して「かうや」と仮名で記されており、社名は一時期音読されていたことがわかる[4]。
鎌倉時代以降は武家からの崇敬も篤く、源頼朝・山名時春・毛利元就・小早川隆景等が社殿造営や寄進を行なったと伝える[2]。江戸時代には津山藩主・森氏により現在の社殿が修造されたほか、のちの藩主となった松平氏からも崇敬された。
神階
境内
社殿

- 本殿(県指定重要文化財)
- 拝殿
- 宝物殿
重要文化財指定品等の宝物を納める。
宇那提森
宇那提森(うなでのもり、うなでがもり)は、当社鎮座地の森。『五大集歌枕』や『八雲御抄』で美作国の歌枕として記載されている[7]。
『万葉集』には「
伝承によると、この森には大蛇が棲んでおり、人畜に害をもたらし神社の扁額を舐めまわしたと言われる。当社所蔵文化財のうち藤原行成筆と伝える扁額「正一位高野大明神」が残っている。大蛇は森で殺されたといい、現在も残る蛇塚・胴塚に埋められたという[7]。
宇那提森は戦国時代に砦構築のため宇喜多氏により伐採され、現在は石鳥居付近に一本のムクノキのみが残され市の天然記念物に指定されている。
摂末社
- 八幡神社
- 籠神社
- 淡島神社
- 御先神社
- 荒神社
- 広瀬神社
- 漆神社
