鳥居久靖
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愛知県八名郡石巻村(現豊橋市嵩山町)の農家の二男として生まれる[1]。1927年、県から学資補助を受けながら愛知県岡崎師範学校(現愛知教育大学)本科一部に進学[1]。1932年、豊橋市内の学校に奉職するも[1]、1935年、県に頼んで南満洲鉄道株式会社奉天教育研究所に出向[1]。ここで中国語と出会い、中国語を専攻する[1]。1939年に一時帰国し、結婚[1]。1940年、新京(現長春市)の新京商業学校で教鞭を執る[1]。1942年、帰国して天理外国語学校(現天理大学)教授となる[1]。そのかたわら、立命館大学法学部に在籍し、1944年に卒業した[1]。1949年、学校再編による天理大学開学に伴い資格再審査を受け、文学部助教授となる[1]。1955年、天理大学教授[1]。1973年、死去。
著書
- 『北満を旅して』1935年、同盟新聞 - 中国関連の最初の紀行文。全39回。
- 鳥居鶴美・平岩房次郎 校訂『華語助動詞の研究』1947年、養徳社
- 『金瓶梅しゃれことばの研究』1972年、 光生館
- 『中国の言語と文学 鳥居久靖先生華甲記念論集』1972年、鳥居久靖教授華甲記念会
など多数