鵜沼西町古墳
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所属
鵜沼西町古墳群
位置
北緯35度24分16.85秒 東経136度55分52.55秒 / 北緯35.4046806度 東経136.9312639度座標: 北緯35度24分16.85秒 東経136度55分52.55秒 / 北緯35.4046806度 東経136.9312639度
形状
方墳
| 鵜沼西町古墳 | |
|---|---|
| 所属 | 鵜沼西町古墳群 |
| 所在地 | 岐阜県各務原市鵜沼西町 |
| 位置 | 北緯35度24分16.85秒 東経136度55分52.55秒 / 北緯35.4046806度 東経136.9312639度座標: 北緯35度24分16.85秒 東経136度55分52.55秒 / 北緯35.4046806度 東経136.9312639度 |
| 形状 | 方墳 |
| 規模 | 一辺20m |
| 埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
| 出土品 | 須恵器・土師器 |
| 築造時期 | 7世紀前半 |
| 史跡 | なし |
| 特記事項 | 墳丘は非現存 |
| 地図 | |
鵜沼西町古墳(うぬまにしまちこふん)は、岐阜県各務原市鵜沼西町にあった古墳。形状は方墳。鵜沼西町古墳群を構成した古墳の1つ。現在では墳丘は失われている。
岐阜県南部、各務原台地の東縁部の台地突出部南斜面に築造された古墳である。一帯では前・中期古墳の一輪山古墳(消滅)・衣裳塚古墳・坊の塚古墳の分布が知られる。2000年度(平成12年度)に発掘調査が実施され、現在は失われている。
墳丘の上部は削平されているが、墳形は2段築成の方形で、下段は一辺約20メートル、上段は一辺約15メートルを測った[1]。墳丘外表では外護列石が認められており、下位では大きめの砂岩、上位では小ぶりのチャートが使用される[1]。また墳丘周囲には周溝が認められており、周溝内からは多数の須恵器が出土している[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室である。石室内は盗掘に遭っており大きく破壊されているが、調査では石室内から須恵器・土師器が出土している[1]。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定される[1]。鵜沼地区は、木曽川沿岸であるとともに古代東山道・中世鎌倉街道・近世旧中山道が東西に通る要衝であり、古代の各務原地域を考察するうえで注目される[1]。
遺跡歴
埋葬施設
関連施設
- 各務原市歴史民俗資料館(各務原市那加門前町) - 各務原市立中央図書館内。鵜沼西町古墳の出土品を展示。
