鷲尾隆良

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時代 鎌倉時代後期
生誕 建長4年(1252年)頃?
改名 師保→隆良
 
鷲尾 隆良
時代 鎌倉時代後期
生誕 建長4年(1252年)頃?
死没 永仁4年12月5日1297年1月6日
改名 師保→隆良
別名 鷲尾中納言、(号)四条、風月堂、松月堂
官位 従二位権中納言
主君 後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇
氏族 鷲尾家
父母 父:四条隆親、母:不詳
兄弟 四条房名四条隆顕隆良、隆任、隆遍、近子隆子識子
隆嗣隆宣
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鷲尾 隆良(わしのお たかなが)は、鎌倉時代後期の公卿権大納言四条隆親の三男。官位従二位権中納言鷲尾家祖。善勝寺長者。初名は師保(もろやす)。号は四条風月堂松月堂。邸宅が東山鷲尾にあったことから鷲尾中納言と称した[1]

父・隆親が50代の頃に誕生したため、父から溺愛されたという[2]

後嵯峨院政期康元2年(1257年叙爵。同日に安芸守に任ぜられる。正嘉2年(1258年)従五位上に昇進し、翌3年(1259年侍従土佐守を兼ねる。

正元2年(1260年後深草上皇御給により正五位下に昇進。その後も院御給で文永2年(1265年従四位下、文永4年(1267年従四位上、文永6年(1269年正四位下と昇進を重ねる。この間に越前守を8年(文永2~10年まで)務める。

文永8年(1271年右近衛少将に遷任、越前守を去った後の文永11年(1274年左兵衛督、翌建治元年(1275年)には内蔵頭に再任される他、熙仁親王の春宮亮も兼ねる。

建治2年(1276年)2月に内蔵頭を止められ、同年12月左近衛中将に任ぜられる。弘安10年(1287年)熙仁親王の践祚伏見天皇)により春宮亮を止められる。

正応元年(1288年従三位に叙せられ、公卿に列する。その後は正応4年(1291年正三位、正応5年(1292年参議永仁2年(1294年従二位、永仁3年(1295年権中納言と立て続けに昇進を重ねる。永仁4年(1297年)薨去。

人物

鎌倉時代頃に成立した日記『とはずがたり』の作者・後深草院二条は姪(隆良の兄弟姉妹・近子の娘)にあたり、作中でも隆良の名が散見される[3]

建長年間、西大寺叡尊生け花を学び、松月堂古流の祖とされた[4][5]

玉葉和歌集に和歌1首が入選する[1]

官歴

系譜

脚注

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