鷲尾隆良
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父・隆親が50代の頃に誕生したため、父から溺愛されたという[2]。
後嵯峨院政期の康元2年(1257年)叙爵。同日に安芸守に任ぜられる。正嘉2年(1258年)従五位上に昇進し、翌3年(1259年)侍従と土佐守を兼ねる。
正元2年(1260年)後深草上皇の御給により正五位下に昇進。その後も院御給で文永2年(1265年)従四位下、文永4年(1267年)従四位上、文永6年(1269年)正四位下と昇進を重ねる。この間に越前守を8年(文永2~10年まで)務める。
文永8年(1271年)右近衛少将に遷任、越前守を去った後の文永11年(1274年)左兵衛督、翌建治元年(1275年)には内蔵頭に再任される他、熙仁親王の春宮亮も兼ねる。
建治2年(1276年)2月に内蔵頭を止められ、同年12月左近衛中将に任ぜられる。弘安10年(1287年)熙仁親王の践祚(伏見天皇)により春宮亮を止められる。
翌正応元年(1288年)従三位に叙せられ、公卿に列する。その後は正応4年(1291年)正三位、正応5年(1292年)参議、永仁2年(1294年)従二位、永仁3年(1295年)権中納言と立て続けに昇進を重ねる。永仁4年(1297年)薨去。