1955年、北海道富良野市生まれ[1]。10歳頃に東京都立川市に転居し、1974年に桐朋学園高校を卒業。1980年、中央大学文学部哲学科を卒業。
当初は音楽評論からスタートし、20代後半から「中南米音楽」(後に「ラティーナ」と改称)に評論を寄稿する。
1990年以降、「美術手帖」を中心に現代美術の評論を手がける。その一方で多くの現代美術展を企画した。東京藝術大学、茨城大学、武蔵野美術大学で非常勤講師も務めた。環境、自然、神秘といったモチーフをもとに文明論を構想した。
2011年3月23日、肝臓癌のため群馬県前橋市で死去[2]。