黄侃
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黄侃は四川省成都で妾の腹に父の晩年にたった一人の男子として生を受けた。1890年に一家は原籍である湖北省蘄春(今の黄岡市の一部)に引っ越した。
父の黄雲鵠が張之洞の知人であったため、張之洞の推薦を受けて1905年に日本に官費留学し、早稲田大学で学んだ。東京では中国同盟会に参加し、革命を鼓吹した。1906年に来日した章炳麟に師事して『説文解字』や音韻学を学んだ。1910年に帰国して湖北で武力革命を主張した。
辛亥革命後には北京大学の国文系の教授の職についた。師の章炳麟が北京に軟禁されると、ひそかに軟禁先を訪れた。また北京大学では劉師培に学んだ。
文学革命には反対であり、1919年には北京大学を去って武昌高等師範に移っている。1928年からは南京の中央大学で教えた。ほかに北京師範大学、山西大学、東北大学、金陵大学で短期間教えている。南京で1935年に過度の飲酒により死亡した。