黒田宣政
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貞享2年(1685年)[1]、福岡藩第4代藩主・黒田綱政の次男[2]として、江戸桜田の藩邸にて生まれた。母は柳河藩藩主・立花鑑虎の養女[1]・呂久姫。
初名は政則(まさのり)[1]。兄の吉之が早世したため嫡子となる[3]。正徳元年(1711年)8月11日襲封した[2]。藩主就任時に将軍徳川家宣より偏諱を受けて宣政と名乗った。
宣政は病弱で、嗣子にも恵まれなかったため、直方藩藩主・黒田長清の長男で、従弟にあたる継高を養嗣子として迎えた[4][5]。享保4年(1719年)11月22日、致仕[2]、家督を継高に譲った。病弱のため、領地筑前に入ることが中々できず、藩政は代理で叔父の長清が行っている。
宣政時代の黒田家の文書類はほぼ焼失、散逸しており、従姉妹の市子(酒井忠挙の娘・松壽院)との交換書状が唯一残る。
延享元年(1744年)8月10日[6][2]、江戸桜田藩邸にて死去した。60歳[6][2]。義山道勇泰林院と号す[6]。江戸麻布の天真寺に葬られた[6][2]。