信
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仏教における「信」
| 仏教用語 信 | |
|---|---|
| パーリ語 | saddhā |
| サンスクリット語 | śraddhā |
| チベット語 |
དད་པ (Wylie: dad pa THL: dat pa) |
| ベンガル語 | শ্রাদ্ধের |
| 中国語 |
信(T&S) (拼音: xìn) |
| 日本語 |
信 (ローマ字: shin) |
| 朝鮮語 |
믿음 (RR: mid-eum) |
| 英語 | Faith |
| クメール語 |
សទ្ធា (satthea) |
| シンハラ語 |
ශ්රද්ධාව (shraddhawa) |
| タイ語 | ศรัทธา |
| ベトナム語 | đức tin |
仏教においては、サンスクリット語のシュラッダーŚraddhā もしくプラサーダPrasada の訳語で、開祖仏陀(ゴータマ・シッダールタ)の教えを信ずることによって、心が清らかに澄みわたることをさしている[1]。
- 五根 (三十七道品)のひとつ
- 解脱への道において、最初の段階。象跡喩小経などで示される[4]。
- 世親は『倶舎論(阿毘達磨倶舎論)』において「信とは心をして澄浄ならしむ」と記し、世親の学統を継ぐ倶舎宗にあっては万象を75種の実体に分別し、それを5つに大別した分類法(五位法)のひとつ「心所法」において、その一部としている[1]。
カーラーマ経において釈迦は、聖なる権威、伝統などであったり、または自分の師匠だからといった理由での盲目的な「信」に反対している[5]。そして何が諦(saccaṃ)であるかを自ら判断するための、10つの判断基準を述べている[5]。
Etha tumhe kālāmā mā anussavena, mā paramparāya, mā itikirāya, mā piṭakasampadānena, mā takkahetu, mā nayahetu, mā ākāraparivitakkena, mā diṭṭhinijjhānakkhantiyā, mā bhabbarūpatāya, mā samaṇo no garū'ti.
カーラーマたちよ、あなたがたは、風説(anussavena)によるなかれ。伝承(paramparāya)によるなかれ。伝聞(itikirāya)によるなかれ。聖典(piṭaka)記載によるなかれ。推論(takka)によるなかれ。公理(naya)によるなかれ。類比(ākāra)によるなかれ。見解(diṭṭhi)からの推論に対する受容によるなかれ。有能な外見(rūpatāya)によるなかれ。自分の師(garū'ti)である沙門という理由によるなかれ。