大鏡
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書名
書名の『大鏡』とは、「歴史を明らかに映し出す大きな鏡」の意味である[2]。古くは世継物語[注釈 2](よつぎものがたり)・世継大鏡[注釈 3](よつぎおおかがみ)・世継が物語[注釈 4](よつぎがものがたり)・世継の翁が物語[注釈 5](よつぎのおみながものがたり)・世継の翁の物語[注釈 6](よつぎのおみなのものがたり)・しげき世継の物語[注釈 7](しげきよつぎのものがたり)・世継のかがみの巻[注釈 8](よつぎのかがみのまき)・摩訶大円鏡[注釈 9](まかだいえんきょう)などとも呼ばれており、作者の付けた書名は無かったものと考えられている。なお、建久3年(1192年)書写の天理図書館本から、鎌倉時代初期には大鏡の書名が用いられていたことが確認できる。
成立年代
帝紀・後一条院条の「今年は万寿二年乙丑の歳」の記述から、万寿2年(1025年)を成立年とする説を伴信友が提唱したが[3]、これは藤原道長の栄華期に筆を終えたことに仮託したものであること、大鏡を執筆時の題材に用いたとされる『栄花物語』との関連性から実際はこれ以降の成立とする説が有力である[4]。
諸説は以下のとおり[5]。
- 万寿2年(1025年)説 - 本文の記述から伴信友が提唱。西岡虎之助が支持。
- 万寿2年以降半世紀間(1025~1075)説 - 海野久平が提唱。
- 白河天皇期(1073~)以降説 - 萩野由之が提唱。関根正直・尾上八郎が支持。
- 永久・元永年間(1113~1120)説 - 西岡説の反駁として山岸徳平が提唱。
- 元永・保安年間(1118~1123)説 - 『今昔物語集』・本書裏書との関係から平田俊春が提唱。
- 鳥羽天皇期(1107~1123)説 - 藤岡作太郎が提唱。宮島弘も作者と推定される源俊房の晩年を踏まえて鳥羽期を主張。
- 白河~崇徳天皇期間(1073~1142)説 - 橘純一が提唱。
- 11世紀末期説 - 芳賀矢一が提唱。『源氏物語』より7~80年後とする。
作者
作者は不詳だが、摂関家やその縁戚の村上源氏に近い男性官人説が有力で、寂念(藤原為業)・藤原能信・藤原資国・源道方・源経信・源俊明・源俊房・源顕房・源雅定らの名が挙げられているが、近年では源顕房とする説がやや有力とみなされている。
諸説は以下のとおり[6]。
- 寂念(藤原為業)説 -『尊卑分脈』[注釈 10]『大日本史』の記載による。しかし、これは『本朝書籍目録』で『今鏡』の作者を『栄花物語』の作者と混同していること[注釈 11]、嘉応2年(1170年)時点で為業が出家していること、やや後に成立したとされる続編の『今鏡』で本書を「古き物語」と言及していること[7]、『栄花物語』の作者が女性と推定されることなどの観点から、現在ではあまり支持されない。板橋倫行は、『尊卑分脈』で弟の寂超(藤原為経)の箇所に「続世継(=今鏡)作者」と注記するのを為業の所に「世継作者」と誤記したことによるものと論じる。
- 藤原能信説 - 『日本紀私抄』の記述による[注釈 12]。同書は称名寺長老の剣阿が書写したものと伝わり、鎌倉時代には作者に関する言及があったことがうかがえる。萩野由之、井上通泰、西岡虎之助、鎌谷春市らが支持。
- 源道方説 - 作者を禎子内親王生母の藤原妍子(藤原道長の娘)と縁のある人物と仮定し、万寿年間(1024-1028)に道方が皇太后宮大夫であったこと、従姉の倫子が道長の妻で源雅信や源重信の事に触れる機会が多いことを理由に井上通泰が提唱。
- 源経信説 - 道方の六男・経信を作者とする。関根正直・蓮田善明・岡田希雄らが支持。
- 源俊明説 - 山岸徳平が支持。
- 源俊房説 - 宮島弘が支持。
- 藤原資国説 - 藤原兼輔の曽孫・資国を作者とする説。梅原隆章が支持。
- 源顕房説 - 川口久雄が支持。近年有力視されている説。
なお、山岸徳平は作者の基本的性格として、
などを挙げた。また、川口久雄は山岸の主張に
- 大鏡資料集ともいうべきものを入手しやすい立場の人物
- 今昔物語集の資料を参照しやすい立場の人物
- 大江匡房・源経信と交友関係を有する
- 中宮職に在任したことがあり、后の事情に通じている
- 藤原兼通・兼家兄弟の争いに興味を持ちやすい立場の人物
の条件も加えた[8]。
内容
文徳天皇が即位した嘉祥3年(850年)から後一条天皇の万寿2年(1025年)に至るまで14代176年間の宮廷の歴史を、藤原北家、ことに道長の栄華を軸にして、大宅世継(190歳)と夏山繁樹(180歳)という長命な二人の老人が雲林院の菩提講[注釈 13]で語り合い、それを若侍が批評するという対話形式で書かれている[9]。
なお、架空の登場人物の設定は以下のとおり[10]。
- 大宅世継(おおやけ の よつぎ) - 190歳。貞観18年[注釈 14](876年)正月15日生まれ[注釈 15]。父親は学生で、世継自身も若い頃に菅原道真の事蹟を熱心に聞いていた。宇多天皇生母の班子女王(桓武天皇の孫)に仕え、「高名の大宅世継」と呼ばれた。
- 夏山繁樹(なつやま の しげき) - 180歳。某年5月に生まれたとされるが、世継の生年を踏まえると、生年は仁和2年(886年)と考えられる。10人兄弟の末っ子で、市で銭10貫と引き換えに買い取った親に12~3歳まで養育される。藤原忠平が蔵人少将だった時に小舎人童として仕え、大犬丸(おおいぬまる)と称した。今でも忠平を「宝の君」として称えている。のちに村上天皇に仕えて蔵人の命を受けて清涼殿の前に植える梅の木を探したり、紀貫之の伴として和泉国に下ったこともある。
- 世継の妻(よつぎのつま) - 名不詳。年齢は200歳ほど。瘧(マラリア)を患い菩提講には出席できなかった。文徳天皇皇后の藤原明子に仕えた。容姿端麗で藤原兼輔や良岑衆樹から恋文を送られたこともあったが、縁あって世継の妻となった。
- 繁樹の妻(しげきのつま) - 名・年齢不詳。奥州安積沼のほとりで誕生。陸奥守・源信明が任期満了のため京に戻る際、その妻・中務(敦慶親王の娘)に伴われて上京し、繁樹の後妻となった。
- 若侍(わかざむらい) - 名不詳。年齢は30歳ほど。祖父は藤原兼通から年来の恩顧を受けていた。藤原妍子に近侍していた。
和語(大和言葉)に漢語・仏教用語を交えて書かれており、簡潔でありながら豊かな表現に富む。藤原兼通・兼家兄弟の権力争いや、藤原道兼が花山天皇を欺いて出家させる場面では、権力者の個性的な人物像が描写されている。そこには権力欲への皮肉も垣間見える。
結末の後に「二の舞の翁の物語」などと呼ばれる後日譚が加えられているが、この増補は「皇后宮大夫」が行ったものと記されていることから、これを行ったのは同時期に皇后宮大夫を務めていた源雅定、あるいはその前任者の藤原家忠であろうと推測されている。
構成
- 序(三巻本天、五巻本一、六巻本一)
- 雲林院の菩提講で行き会った翁二人が昔物語を始める
- 帝紀(三巻本天、五巻本二、六巻本一)
- 列伝
- 左大臣 藤原冬嗣(三巻本天、五巻本三、六巻本二)
- 太政大臣 藤原良房(摂政)
- 右大臣 藤原良相
- 権中納言従二位左兵衛督 藤原長良
- 太政大臣 藤原基経(摂政・関白)
- 左大臣 藤原時平
- 左大臣 藤原仲平
- 太政大臣 藤原忠平(摂政・関白)
- 太政大臣 藤原実頼(摂政・関白)
- 太政大臣 藤原頼忠(関白)
- 左大臣 藤原師尹
- 右大臣 藤原師輔(三巻本地、五巻本三、六巻本三)
- 太政大臣 藤原伊尹(摂政)
- 太政大臣 藤原兼通(関白)
- 太政大臣 藤原為光
- 太政大臣 藤原公季
- 太政大臣 藤原兼家(摂政・関白)(三巻本地、五巻本三、六巻本四)
- 内大臣 藤原道隆(摂政・関白)
- 右大臣 藤原道兼(関白)
- 太政大臣 藤原道長上(摂政)(三巻本人、五巻本三、六巻本五)
- 藤氏物語(三巻本人、五巻本四、六巻本五)
- 太政大臣 藤原道長下(摂政)(三巻本人、五巻本三、六巻本六)
- 昔物語(三巻本人、五巻本五、六巻本六)
注解書
- 「古典全集」版
- 松村博司 編『大鏡』岩波書店〈日本古典文学大系21〉、1960年。ISBN 4000044915。
- 『新潮日本古典集成 大鏡』石川徹校注、新潮社、ISBN 4106203820
- 『新編 日本古典文学全集34 大鏡』橘健二[注釈 16]・加藤静子[注釈 17]校注・訳、小学館、ISBN 4096580341
- 文庫判
- 『大鏡』松村博司校注、岩波文庫、ISBN 4003010418
- 『大鏡』佐藤謙三校注・訳、角川文庫、ISBN 4044038015
- 『大鏡 全現代語訳』保坂弘司校注・訳、講談社学術文庫、ISBN 978-4061584914
- 『大鏡 ビギナーズ・クラシックス』武田友宏[注釈 18]編訳、角川ソフィア文庫、ISBN 404357424X