誄歌
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概要
「誄」は、死者の生前の行いを述べ、その死を悼む言葉を意味する。誄歌は、この意味から、死者を弔う歌を指す語として用いられる[1]。
一般語としては、死者を弔い、その人の生前の功徳をたたえる歌をいう[1]。
雅楽においては、皇室の葬礼に用いられる特殊な歌曲であり、御葬歌(みはぶりのうた)とも呼ばれる。雅楽における誄歌は、神楽歌、東遊、大和舞、久米舞、五節舞などと同じく、日本古来の歌舞を基盤とする国風歌舞の系統に位置づけられる。ただし、これらの多くが神事や宮中儀礼において舞を伴うのに対し、誄歌は皇室葬礼という特定の場でのみ歌われ、舞を伴わない点に特色がある[2]。
資料によっては、倭建命の死をめぐる『古事記』の歌謡を「大御葬歌」と呼び、誄歌と関連づけて説明するものもある。レファレンス協同データベースによる事例では、『皇室事典』において「大御葬歌」から「誄歌」へ誘導され、『国史大辞典』および『雅楽事典』の「誄歌」項目には、明治天皇の葬儀に際して宮内省楽部によって再興された雅楽の演目とする説明があるとされている[3]。
歌詞と『古事記』
誄歌の歌詞は、『古事記』中巻にみえる、倭建命の死を悼む4首の歌に基づく[2]。この4首は、『古事記』中巻に倭建命の死を悼む歌としてみることができ、初めの2歌で供物などを霊前に捧げ、後の2歌でそれを下ろすものとされる[1]。
文化デジタルライブラリーは、この4首を歌詞に取るため、誄歌は組曲ではなく、関連性をもつ一連の歌曲、すなわち連作歌曲であると説明している[2]。
『古事記』における倭建命の葬送歌謡は、後世に皇室葬礼歌として再構成された誄歌の歌詞的基盤となった。ただし、現在歌われる誄歌の旋律は、これらの歌が古代から同一の旋律を伴って伝承されたものではなく、明治天皇の大喪儀に際して『古事記』の歌詞に旋律を付して作曲されたものとされる[4]。
演奏形態
明治天皇大喪儀における再興
近代において、誄歌は明治天皇の大喪儀に際して再興された[1]。『日本国語大辞典』は、1912年の『風俗画報』438号「御大葬本記」にみえる、青山葬場殿において供饌および撤饌(神前に食物を捧げること、およびその食物を下げること)の際に楽師が誄歌を奏したとする用例を挙げている[1]。
藤原享和の論文「〈講演〉天皇の大御葬に歌ふ歌」においても、『大喪記録』および『大喪儀式録』を参照し、明治天皇大喪儀の葬場殿の儀において、御饌・幣物の奉奠および撤饌の間に誄歌が奏されたことを示している[4]。同論文によれば、誄歌の歌詞は『古事記』所載の大御葬歌に基づき、明治天皇大喪儀に向けて作曲されたものとされる[4]。
再興に関わった楽人

誄歌の再興には、宮内省楽部の楽人が関わった。南都方の左舞と笛を伝承する楽家に生まれた上真行は、明治天皇の大喪における誄歌再興に関わった[6]。
また、コトバンク収録の「改訂新版 世界大百科事典」は、1912年の明治天皇葬儀の際、誄歌が宮内省楽部の芝祐夏によって復興されたと説明している[1]。