1960年東京オリンピック構想
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- 会期:1960年7月30日 - 8月14日[1]
- 予定会場[2]
- メイン会場:明治神宮外苑
- 戸田漕艇場 - ボート 幅7m・深さ3mから幅10m・深さ4mに拡張を計画
- 荒川戸田漕艇場付近-足立新田付近 - カヌー
- 後楽園競輪場 - 自転車トラック競技・ホッケー
- 馬事公苑 - 馬術
- 東京競馬場 - 馬術
- 相模原市・座間市周辺 - 馬術耐久競技・近代五種馬術 馬術主会場を馬事公苑とした場合に使用を計画
- 朝霞射撃場 - ライフル射撃
- 村山射撃場 - クレー射撃
- 横浜港沖 - ヨット
- 武蔵野サッカー場 - サッカー
- 東京都美術館 - 芸術展示
- 選手村[4]
- 男子 - 代々木ワシントンハイツ跡
- 女子 - 新宿区戸山町
- その他ウエイトリフティング・バレーボール・フェンシング・レスリング・体操の本競技に対応可能な屋内競技場として後楽園アイスパレス・後楽園ローラースケート場・蔵前国技館・両国国技館・日活スポーツセンター、サッカー・ラグビー・ホッケーの本競技に対応可能な球技場として小石川運動場が挙げられていた[2]。
- 聖火リレー[5]
招致活動の経過
- 1952年
- 5月19日 - 東京都議会でオリンピック招致を決議[6]。
- 6月23日 - 日本体育協会で行われた国際委員会、理事会の合同会で第3回アジア競技大会開催地として東京都を推すことを決定[7]。
- 7月2日 - 1960年夏季オリンピック東京招致のため東京都の春彦一副知事、東龍太郎IOC委員・日本体育協会会長、高石真五郎IOC委員がスイスのローザンヌへ出発[8]。
- 7月4日 - 都議会で1960年オリンピック招致委員会を都議会全員で構成し、その中から実行委員25名を選ぶことを決定[9]。
- 7月10日 - 東、高石両IOC委員と春東京都副知事がエドストレームIOC会長を訪問[10]。
- 7月12日 - IOC実行委員会が、1960年夏季オリンピック開催地の決定を3年後に延期[11]。
- 7月16日 - IOC総会で次期IOC会長にアメリカのアベリー・ブランデージを選出。
- 7月19日~8月3日 - ヘルシンキオリンピック開催。
- 7月24日 - ヘルシンキでアジア競技連盟総会が開かれ、1958年アジア競技大会を日本で開くことを決定。開催地は日本NOCが決めることになる[12]。
- 8月9日 - 都議会オリンピック招致実行委員会、委員長に中塚栄次郎を選出[13]。
- 11月28日 - 日本体育協会国際委員会は、第3回アジア大会を東京で開くことを決定[14]。
- 1953年
- 1954年
- 1955年
| 投票結果 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 都市 | NOC | 1回目 | 2回目 | 3回目 | ||
| ローマ | 15 | 26 | 35 | |||
| ローザンヌ | 14 | 21 | 24 | |||
| デトロイト | 6 | 11 | ||||
| ブダペスト | 8 | 1 | ||||
| ブリュッセル | 6 | |||||
| メキシコシティ | 6 | |||||
| 東京 | 4 | |||||