1971年から1992年までのマラウイ総選挙
From Wikipedia, the free encyclopedia
1964年7月、マラウイはイギリス領ニヤサランドから英国自治領のマラウイとして独立を果たすが、その直前に行われた選挙において、マラウイ会議党以外の候補者が無かったため、ヘイスティングズ・カムズ・バンダ率いるマラウイ会議党は全議席を無投票で獲得した[2]。前年度のニヤサランド議会において首相となっていたバンダは、この頃から既に独裁的傾向を見せるようになってきていた。
まず、1964年9月に内閣危機と呼ばれる事件が生じた。バンダ首相は自身の意に沿わなかった閣僚3人を解任し、さらにこの3人に同情した閣僚3人が抗議の辞任を行ったところ、この6人は党から除名され、さらに6人中の5人は生命の危機を感じたため亡命に追い込まれた、という事件である。この事件以降、バンダは一層独裁化を強めたと言われる[3]。
その後、1966年7月6日に英国自治領マラウイからマラウイ共和国へと完全に独立すると、バンダは大統領へ就任するとともに、憲法でマラウイ会議党以外の政党を禁止して一党制を確立した[4]。さらに1970年には、バンダを終身大統領とする議決が国会において全会一致で採択された。さらに、1983年以降は事実上党で第2の地位である幹事長を空席とし、さらなる権力の集中を図った。この期間、バンダの敵対した政治家や市民は迫害され、亡命に追い込まれたり暗殺されたりする例がしばしば見られたとされる[5][3]。