2010年ミャンマー総選挙
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2010年ミャンマー総選挙(2010ねんミャンマーそうせんきょ)は、2010年11月7日に行われたミャンマー連邦の総選挙である。2008年に制定されたミャンマー連邦共和国憲法に基づいて複数政党制により行われた。
2008年に制定された新憲法にもとづき、1990年総選挙以来、ミャンマーで30年ぶりに実施された総選挙だった。ただ、人民代表院、民族代表院、地方域/州議会の4分の1の議席は、国軍総司令官が任命した軍人が就任し(109条、110条)、国防大臣、治安・内務大臣、国境大臣は国軍総司令官が任命(232条(2))するなど国政に対する国軍の関与が大幅に認められていた。国家平和発展評議会(SPDC)議長タンシュエも、SPCD統治下最後の国軍記念日の演説で、「かつて独立のために政治家が、軍の指揮官となった。われわれは必要があれば、いつでも国政に参加し奉仕する」と述べていた[2]。
ミャンマー民主化指導者であるアウンサンスーチーの党である国民民主連盟(NLD)は選挙をボイコットすることを決定し、2010年5月に解党処分となった。アウンサンスーチー個人の投票権については、当初軍政側は認めなかったが、後に認めた[3]。しかし、本人は投票のボイコットを表明し、投票しなかった[4]。
2010年10月18日には、ミャンマーの選挙管理委員会は、総選挙の際、外国の選挙監視団や記者を受け入れない方針を示し、選挙の正当性についての国際社会の疑問が強まった[5]。
基礎データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 投票日 | 2010年11月7日 |
| 選挙の対象 | 連邦議会(人民代表院・民族代表院)および14地方域・州議会 |
| 選挙制度(民選枠) | 小選挙区制 |
| 選挙区(定数) | 1,171選挙区 |
| 実施選挙区 | 1,154選挙区 |
| 登録申請政党数 | 47政党 |
| 参加政党数 | 37政党 |
| 有権者数(概数) | 2,900万人 |
| 立候補者数 | 3,069名(無所属:82名) |
| 平均競争率 | 2.7倍 |
| 投票率 | 人民代表院:77.3% 民族代表院:76.8% 地方域・州議会:76.6% |
選挙制度

人民代表院、民族代表院、地方域/州議会のレベルで、それぞれ軍人議員枠を除いた330議席、168議席、665議席で争われた[8]。
人民代表院の330ある郡区に対応する選挙区で1議席を争い、民族代表院は14ある各地方域/州に12議席が割り当てられ、人民代表院とは異なる選挙区で争われた[8]。
地方域/州議会(一院制)選挙では、各郡区に2議席割り当てられ、さらに当該地方域・州内に国家の全人口の0.1%(約5万人)以上の人口を擁する民族で、当該地方域・州の主要民族ではなく、その地方域・州内に自治管区・自治区を有していない民族に対して1議席割り当てられた(161条)[8]。
参加政党
37政党が選挙に参加した。2010年8月30日までに立候補の届出をすることになっていたが、これには民主化勢力から「準備期間が短すぎる」といった批判の声が挙がっていた。選挙戦は、ミャンマー軍(国軍)が後ろ盾となっている体制政党の連邦団結発展党(USDP)に、NLDの分派である国民民主勢力(NDF)、ビルマ社会主義計画党(BSPP)の後継政党である国民統一党(NUP)の三つ巴で、これに小規模な民主化政党及び少数民族政党が絡む構図だった[9]。
主な参加政党の主張は以下の通り。
- USDP - 他の追随を許さない立候補者数と、軍政時代に貯め込んだ豊富な資金力を生かし、マイクロクレジットや、携帯電話、家財道具などのプレゼントを行うことで党員獲得、支持者の拡大を行っており、選挙前から議会の多数派を占めることが有力視されていた[10]。その主張は、複数政党による民主主義の確立、市場経済システムの確立、労働者の社会的地位向上、信教の自由の確約などだった[11]。ただ、国軍色が強く、国民的人気はいまいちで、USDPの選挙ポスターでは「国民が第一」と謳われていたところ、街行く市民たちの反応は、怒りや落胆、嘲笑などといった否定的なものが多かったのだという[12]。
- NDF - 少数民族問題を重視。ただし、その民主化を謳っていたNLDから分派して、選挙に参加したということで、国民にはあまり訴求しなかった[13]。
- NUP - USDP以外ではNUPのみがほぼ全選挙区に候補者を擁立した。
選挙に参加した37政党の内、1990年総選挙時からの継続政党は4党、新規政党は33政党となった。なお選挙管理委員会に設立を申請し政党設立及び登録が認められた政党は42政党であるが、総選挙参加要件である最低3選挙区以上への候補者擁立ができず、連邦カレン連盟など5つの政党が失格となった。
選挙結果
軍事政権が組織したUSDPは選挙管理委員会から選挙結果が発表されていない11月9日の段階で、独自集計の結果として「議席の8割を獲得した」と勝利宣言した。NDFなど民主化勢力の獲得議席は少数にとどまり、選挙は不正であると訴えていく姿勢を示した[14][15]。その一方で、シャン民族民主党やラカイン民族発展党などはUSDPによる不正を認めつつも「時間とお金を無駄にしないため不服申し立てはしない」と表明した[16]。最終的な各党当選者数は以下の表の通りである。
軍政与党であるUSDPは連邦議会と地域・州議会のいずれでも8割近い議席を獲得して圧勝した。NLDから離脱した人々によって結成されたNDFは敗北、旧政権政党BSPPの後継政党であるNUPも大敗を喫した。一方、少数民族政党はそれぞれの地域において善戦健闘し、シャン民族民主党がUSDPに次いで第2党に、ラカイン民族発展党は第4党になった。
| 党派 | 連邦議会 | 地域・州議会 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 党名 | 略称(英語) | 人民 代表院 |
民族 代表院 |
連邦議会 議席 |
構成比 (%) |
議席数 | 構成比 (%) |
| 連邦団結発展党 | USDP | 259 | 129 | 388 | 78.7 | 495 | 74.9 |
| シャン民族民主党 | SNDP | 18 | 3 | 21 | 4.3 | 36 | 5.4 |
| 国民統一党 | NUP | 12 | 5 | 17 | 3.4 | 46 | 7.0 |
| ラカイン民族発展党 | RNDP | 9 | 7 | 16 | 3.2 | 19 | 2.9 |
| 国民民主勢力 | NDF | 8 | 4 | 12 | 2.4 | 4 | 0.6 |
| 全モン地域民主党 | AMRDP | 3 | 4 | 7 | 1.4 | 9 | 1.4 |
| チン進歩党 | CPP | 2 | 4 | 6 | 1.2 | 6 | 0.9 |
| パロン・サウァー民主党 | PSDP | 2 | 3 | 5 | 1.0 | 4 | 0.4 |
| パオ民族機構 | PNO | 3 | 1 | 4 | 0.8 | 6 | 0.9 |
| チン民族党 | CNP | 2 | 2 | 4 | 0.8 | 5 | 0.8 |
| ワ民主党 | WDP | 2 | 1 | 3 | 0.6 | 3 | 0.5 |
| カレン人民党 | KPP | 1 | 1 | 2 | 0.4 | 4 | 0.6 |
| タアン(パラウン)民族党 | T(P)NP | 1 | 1 | 2 | 0.4 | 4 | 0.6 |
| 統一民主党(カチン州) | UDP(Kachin) | 1 | 1 | 2 | 0.4 | 2 | 0.3 |
| イン民族発展党 | INDP | 1 | 0 | 1 | 0.2 | 3 | 0.5 |
| カレン州民主発展党 | KSDDP | 0 | 1 | 1 | 0.2 | 1 | 0.2 |
| 民主党(ミャンマー) | DP(Myanmar) | 0 | 0 | 0 | 0.0 | 3 | 0.5 |
| カヤン民族党 | KNP | 0 | 0 | 0 | 0.0 | 2 | 0.3 |
| 国民発展民主党 | NDPD | 0 | 0 | 0 | 0.0 | 2 | 0.3 |
| 88世代学生青年党 | 88Generation | 0 | 0 | 0 | 0.0 | 1 | 0.2 |
| 少数民族発展党 | ENDP | 0 | 0 | 0 | 0.0 | 1 | 0.2 |
| ラフ民族発展党 | LDNP | 0 | 0 | 0 | 0.0 | 1 | 0.2 |
| 無所属 | 1 | 1 | 2 | 0.4 | 4 | 0.6 | |
| 合計 | 325 | 168 | 493 | 100.0 | 661 | 100.0 | |
議員のプロフィール
※2012年4月の補欠選挙後
民選議員
(1)男女比
両院の民選議員(軍人議員を除く)全494人のうち、女性議員は人民代表院で24人、民族代表院で5人。全女性議員29人のうち10人は国民民主連盟(NLD)の議員[18][19]。
(2)平均年齢
人民代表院の平均年齢は56.7歳、民族代表院の平均年齢は57.8歳[18]。
(3)宗教
人民代表院は仏教徒298人(91.4%)、キリスト教徒26人(8.0%)、イスラム教徒2人(0.6%)、民族代表院は仏教徒142人(84.5%)、キリスト教徒25人(14.9%)、イスラム教徒1人(0.6%)。キリスト教徒の議員の半数以上はチン州とカチン州から選出されており、イスラム教徒の議員は全員連邦団結発展党(USDP)所属[18]。
(4)民族
人民代表院はビルマ族が68.6%、民族代表院はビルマ族が55.4%[18]。
(5)学歴
人民代表院は206人(63.2%)、民族代表院は110人(65.5%)が大卒で、1988年までミャンマーには大学が20校しかなかったことを考えれば、一握りのエリートだと言える[18]。
(6)前職
人民代表院はビジネス関係者123人(37.7%)、公務員95人(29.1%)、退役軍人38人(11.7%)。民族代表院はビジネス関係者59人(35.1%)、公務員59人(35.1%)、退役軍人15人(8.9%)。退役軍人の数はさほど多くない[18]。
軍人議員
人民代表院は陸軍94人、海軍8人、空軍9人、民族代表院は陸軍54人、海軍1人、空軍1人と圧倒的に陸軍優位だった。階級は大佐~少佐の佐官級が大半を占め、訓練部門、技術部門、兵站・補給部門など国軍でも非主流派が多かった。平均年齢は人民代表院が41.8歳、民族代表院が43.0歳と民選議員より圧倒的に若く、民族的には人民代表院は110人中101人がビルマ族、民族代表院は56人中52人がビルマ族と、圧倒的にビルマ族優位だった。また学歴的には、国軍士官学校出身者は、人民代表院では約30%、民族代表院では約20%で、残りは一般大学出身者だった[18]。
諸外国の反応
国名・国旗変更の予定

2008年に創られた新憲法下で行われる2010年の総選挙後に、新政府樹立の一環としてミャンマーの国名(ミャンマー連邦からミャンマー連邦共和国へ)と国旗の変更が行われる予定であった[22]。しかし、軍事政権は総選挙を前に国旗と国名の変更を行った。