ミャンマーの政治

From Wikipedia, the free encyclopedia

ミャンマーの政治(ミャンマーのせいじ)では、ミャンマー連邦共和国の政治状況、政治史政治体制について解説する。

現在、ミャンマーの政治は2008年に制定された憲法に基づいて行われている。

1948年の独立から1962年ビルマクーデターまで、ミャンマーは議院内閣制を採用していた。この間、ほぼ一貫して反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)が圧倒的多数与党で、ほとんどの期間においてウー・ヌが首相を務めた。しかし、AFPFL政権は派閥争いが激しく不安定で、1958年から1960年までは国軍総司令官ネ・ウィンが権力を掌握し、選挙管理内閣が政権を担当した。その後、再び議院内閣制に移行したが、相変わらず不安定で、1962年にネ・ウィンが軍事クーデターを起こし、ビルマ連邦革命評議会が権力を掌握した[1]

ビルマ連邦革命評議会は、ビルマ社会主義計画党(BSPP)一党独裁と経済の国有化を特徴とする政権で、反乱を鎮圧し、非同盟・中立外交を貫いて、同時期他の東南アジアの地域を襲った戦争や虐殺からミャンマーを守り抜いたものの、その社会主義的政策は経済の低迷を招いた。1974年には新憲法を制定し、革命評議会を廃止して民政移管したが、実権は引き続きネ・ウィンが握り続けた[2]

8888民主化運動でBSPP体制が倒れ後、1988年9月ミャンマー軍(国軍)が再び権力を掌握し、国家法秩序回復評議会 (SLORC) /国家平和発展評議会 (SPDC)が成立した。欧米諸国から経済制裁を受ける中、中国やASEAN諸国と緊密な関係を築き、少数民族武装勢力と停戦合意を締結して、それなりの経済発展を実現したが、内政ではアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)と激しく対立した[3]

2008年、ミャンマー連邦共和国憲法を制定し、2011年、民政移管してテインセイン政権が成立した。しかし、この憲法下では、(1)連邦議会の上下院議員の4分の1は軍人議員(2)大統領の要件として軍事に精通していること(3)国防相、治安・内務相、国境相の任命権は国軍司令官に(4)連邦分裂、国民の結束崩壊、主権喪失発生の危険性を有する非常事態の際には国軍総司令官に全権委譲(5)憲法改正の際には連邦議員の75%を超える賛成が必要などの条項があり、国軍の大幅な政治的関与が認められたものだった[4]

2016年、NLD政権が成立してアウンサンスーチーが国家顧問に就任したが、2017年のロヒンギャ危機で政権は大きく揺らいだ。また、国軍との関係も徐々に険悪化し、2021年ミャンマークーデターにより、スーチーは再び拘束され、国家行政評議会(SAC)が成立。SAC議長および国軍総司令官のミンアウンフラインが実権を握った[5]

SAC時代、内戦は激化し、国軍は劣勢を強いられていたが、2023年末頃から、これ以上のミャンマーの不安定化を望まない中国が本格的に国軍を支援するようになり、2025年から国軍が攻勢に出始めている。同年7月SACは国家安全保障・平和委員会(SSPC)に改組され、2025年12月に総選挙を実施して、選挙で選出した政権に権力委譲される予定である。総選挙は親軍派の勝利が見込まれ、度重なる武力衝突の激化で全国一律の投票実施は困難とされている[6]

統治機構

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI