連邦団結発展党
ミャンマーの政党
From Wikipedia, the free encyclopedia
党史
設立

2010年4月29日、同年予定されていた総選挙に臨むために、当時首相だったテインセインを含む26人のミャンマー軍(国軍)高官および大臣によって設立された。初代党首はテインセイン[6]。なお、ミャンマー連邦共和国憲法では、公務員には被選挙権がないとされているので(121条(10)、152条(3))、USDP設立と同時に件の26人は全員国軍を退役した[7]。メンバーはビジネス関係者と元公務員が大半で、退役軍人はそれほど多くなかった[8]。
前身は大衆政治組織の連邦団結発展協会(USDA)で、その資産も引き継いでおり、国軍の全面バックアップを受けているとされる[7]。
テインセイン政権時代

2010年11月7日に実施された総選挙では、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)がボイコットしたこともあり、USDPが連邦議会の両院の約80%、地方議会の約75%の議席を獲得して大勝。2011年3月30日、テインセインが大統領に、USDPからサイマウカンが、軍人枠からティンアウンミンウーが副大統領に就任した。なお、憲法第64条により、大統領は政党活動を禁止されているので、副党首のトゥラ・シュエマンが党首代行として活動した[9]。
23年に及ぶ軍政に終止符を打ったとはいえ、連邦レベルの閣僚47人中37人が国軍出身(うち現役が5人)、地方域・州の首相14人のうち13人が退役軍人[10]、国・州・地方議会の議席の4分の1が現役軍人、USDPの議員の大半は国軍と関係の深いビジネス関係者と公務員、上級公務員の80%が退役軍人であり、実質軍政と変わらないとして、当初、テインセイン政権に対する期待はあまり高くなかった。しかし同年8月19日、ネピドーのアウンサン将軍の肖像画の掛かる部屋でテインセインとスーチーの会談が実現すると、一気に改革が加速。政治犯の釈放、表現・報道の自由拡大、NLDの政党再登録、住民の反対の声が強かった中国との共同事業・ミッソンダム建設計画の凍結、各種経済改革などそのスピードは国内外の関係者を驚かせるほどだった[11]。
しかし、2012年4月1日に実施され、人民代表院37議席、民族代表院6議席、地方議会2議席で争われた補選で、USDPは民族代表院で1議席を獲得するのみの惨敗を喫し、逆にNLDは人民代表院で37議席、民族代表院で4議席、地方議会で2議席を獲得する大勝利を収め、スーチーも人民代表院議員に当選した[12]。
こうした中、テインセインは改革に抵抗する国軍・USDP内の保守派の排除に乗り出し、同年5月、軍事枠の副大統領ティンアウンミンウーが辞任に追い込まれ、8月末には、大臣11人と副大臣15人を交代させる大規模な内閣改造を実行。アウンミン(鉄道相)、ソーテイン(工業相)、フラトゥン(財政歳入相)、ティンナインテイン(国家計画経済発展相兼畜水産相)といった改革派の閣僚を大統領府相に新たに起用して大統領府相を6人とし、さらに大臣・副大臣に女性や文民を多数起用した。逆にチョーサン(情報相)、ティンサン(ホテル・観光相兼スポーツ相)といった保守派の閣僚は権限を縮小された[12]。

一方、連邦議会では人民代表院議長に就任したシュエマンは、大統領になる野心を抱いてスーチーに接近。スーチーおよびNLDが強く望んでい憲法改正に協力し、USDPに有利な比例代表制の導入を拒否した[13]。おかげでUSDPはテインセイン派とシュエマン派に分裂。シュエマンは党首の権限で、アウンミン、ソーテインら改革派閣僚の公認を拒否した。そして2015年8月12日、シュエマンは一旦身柄を拘束され、USPD党首代行を解任された[注釈 1]。代わりに党首代行となったのは、テインセインに近いテーウーだった[14]。
| 区分 | NLD | USDP | ||
|---|---|---|---|---|
| 人民代表院 | 民族代表院 | 人民代表院 | 民族代表院 | |
| 候補者数(人) | 316 | 163 | 316 | 164 |
| 平均年齢(歳) | 53.19 | 52.72 | 57.44 | 57.57 |
| 女性率(%) | 14.6 | 14.7 | 6.0 | 6.0 |
| ビルマ族率(%) | 68.0 | 57.1 | 70.3 | 57.3 |
| 仏教徒率(%) | 88.3 | 85.3 | 92.7 | 87.0 |
| 大卒率(%) | 80.7 | 79.1 | 80.7 | 84.1 |
| 閣僚・連邦議員数(人) | 12 | 1 | 100 | 39 |
| 直近に退役した軍人(人) | 3 | 0 | 20 | 7 |
2015年11月18日、総選挙が実施された。選挙期間中、USDPはその資金力と人的動員力を生かし、僧侶、村長、公務員などの既存の有力者ネットワークを生かして、米や水などの生活必需品の無償提供、電気や道路などの将来のインフラ整備の約束などの物量作戦を展開し、選挙には不出馬だったテインセイン大統領も前面に立って選挙応援し、経済改革、貧困削減などテインセイン政権時代の実績を強調した[15]。
しかし、結果は、人民代表院で30議席、民族代表院で12議席、地方議会でも76議席(獲得議席率11.53%)しか獲得できない大惨敗を喫した。テーウーは地元テレビ局の取材に対し、「勝利より敗北の割合の方が多い」と述べて敗北を認め、自身も落選した[16]。
NLD政権時代

野党に落ちたUSDPでは、テインセインが党首に復帰し、シュエマンを含む17人を除名[17]。同年8月23日には、落選して議席を失っていたタンテイが新党首に就任した[注釈 2][18][19][20]。USDPはNLD政権下の経済の停滞、犯罪の増加、ラカイン州におけるアラカン軍(AA)の反乱への対処不足などを厳しく批判[21][22]。2017年4月1日に実施予定だった補選の選挙期間中には、タンテイは以下のように国民に訴えた[23]。
国民が代表者の能力レベルを知らずに感情に基づいて投票したため、(2015年の総選挙以来)国内の多くの地域が混乱状態にあります…党首を基準に投票するのではなく、自分の選挙区の候補者の資質やその政党の政策や経歴を調べるよう人々に呼びかけたい…人々は今や、無秩序な民主主義と規律ある民主主義の価値を理解していると思います。1年近く無秩序な民主主義社会で暮らしてきた私たちの国民は、今、人権を主張できる規律ある民主主義を求めている、と私は心から信じています。 — タンテイ
しかし、人民代表院9議席、民族代表院3議席、地方議会7議席で争われた補選で、USDPは人民代表院で1議席、地方議会で1議席で獲得しただけで、再び惨敗を喫した[24]。
同年8月25日に起きたロヒンギャ危機の際には、もとより「ロヒンギャ」の名称使用にも反対していたUSDPは[25]、政府が独立調査委員会(ICOE)を設置したことにも、国際刑事裁判所(ICC)が管轄権を行使することにも反対した[26][27]。USDPの報道官は、ロヒンギャ危機による国際的圧力を高まりを、憲法417条が規定する国家緊急事態宣言発令の要件である「国家主権の喪失」に当たり、国軍によるクーデターの可能性まで示唆した[26]。
2018年11月3日には、人民代表院4議席、民族代表院1議席、地方議会8議席を争う補選が実施され、USDPは「憲法を変えるのではなく、内閣を変えよう」と訴えたが[28]、少数民族政党に配慮して地方議会の一部選挙区で候補者擁立を見送ったこともあり、民族代表院で1議席を獲得するにとどまった[29]。
選挙を翌年に控えた2019年には憲法改正問題が再燃。USDPおよび国軍はNLD主導の憲法改正両院合同委員会の設置に反対しつつ、現状では大統領が任命する地方域・州首相を各地方議会が選出できるようにすることや、特定の場合 に国防治安評議会が大統領に対して議会の解散を助言できるようにすることなどの改正案を提案したが、NLDが多数派を占める連邦議会により憲法改正両院合同委員会に付託され、 議会全体での議論は先送りにされた。そしてその憲法改正両院合同委員会からは、ラカイン民族党(ANP)、国民統一党(NUP)、そしてUSDPが脱退し、憲法改正の議論は停滞。結局、憲法改正両院合同委員会が提出した憲法改正案は、USDPおよび軍人議員の反対に遭って、ほとんどが否決された[30][31]。USDPのこのような動きは一部の国民の反発を呼び、ネット上では「泥棒政党」という非難を浴びた[32]。

そして、2020年11月8日、総選挙が実施された。下馬評ではNLDの苦戦が伝えられていたが、蓋を開けれみれば前回を上回るNLDの大勝で、USDPは両院で8議席減らす33議席にとどまり、またしても大敗を喫した[30]。しかし、USDPおよび国軍はこの結果に対し、有権者名簿に大きな不正があったと主張。2021年1月30日、国軍はあらためてNLD政権に対し選挙管理委員会の交代・議会召集の延期・票の再集計を要求したが、政権はこれを黙殺した。そして2021年2月1日、国軍はクーデターを決行し、スーチーとがウィンミン大統領らNLD幹部を多数拘束、国家緊急事態宣言を発令して、国家行政評議会(SAC)の設立を宣言した[33][34]。
SAC/SSPC時代

クーデターに反発する抵抗運動により、公務員、教師、USDP関係者など国軍の密告者の疑いをかけられた人々が、民主派武装勢力である国民防衛隊(PDF)により暗殺事件が相次ぎ、2026年までにUSDP党員約1500人が殺害されたとされる[35][36]。
2022年9月12日にタンテイが健康上の理由で党首を辞任し、テインセイン側近だったキンイー副党首が党首に就任した[37][38][39]。キンイーは国家緊急事態宣言解除後に実施される予定の選挙に備え各地を訪問し、国軍幹部、地元有力者、少数民族指導者、高僧、慈善団体などと精力的に会合を重ねた。2023年1月26日、SACが新たな政党登録法を公布すると、USDPは真っ先に登録した[40]。
2025年12月から1月にかけて実施される総選挙に向けて、USDPは、国軍と国防省から、少将1人、中将6人、将軍12人、准将300人、大佐・中佐110人、大尉・少佐110人、そして将校から軍曹事務官まで60人を含む計489人の軍人を受け入れ、有力者を国軍の影響力が強い選挙区から出馬させている。ビジネス関係者と公務員が多かった従来の傾向とは違った[41]。
総選挙は予定どおり実施され、USDPは人民代表院・民族代表院でともに過半数を獲得。軍人枠と合わせて議会で圧倒的多数の議席を確保し、その権力基盤を盤石なものにした。ただ、得票率は両院とも過半数を割り、2010年総選挙に比べても低調なものだった[42]。
選挙結果
人民代表院(下院)

民族代表院(上院)

| 選挙 | 党首 | 議席数 | 得票数 | 得票率[注釈 4] | +/– |
|---|---|---|---|---|---|
| 2010 | テインセイン | 129 / 224 |
11,781,920 | 76.78 | |
| 2015 | 12 / 224 |
6,406,108 | 7.14 | ||
| 2020 | タンテイ | 7 / 224 |
5,923,457 | 4.16 | |
| 2025-2026 | キンイー | 108 / 157 |
5,701,772 | 45.08% |
|