ABブラザーズ
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概要
松野は音楽の道を諦めお笑いタレントを目指しており、中山はアイドル俳優を目指しオーディションに合格していた。それぞれ渡辺プロダクションに所属していた。中山は俳優として映画やドラマのオーディションを受けるも不合格が続いていた。その頃、同事務所にバラエティに特化した部門が発足され、中山は視野を広げる勉強の名目で預かりとなる。松野もまたバラエティチームに所属する。1984年頃からお笑いチーム「BIG THURSDAY」(ビッグサースデー)の一員としても活動。若手タレントを育てる趣旨のライブ「ビッグ・マンデー」に幾たびか出演した。比較的年齢の近い松野と中山を事務所はコンビとして組ませた[2]。
1985年、正式にABブラザーズを結成。同年、『ライオンのいただきます』(フジテレビ)でメディアデビューを果たした。アイドルのルックスと砕けたトークを武器にしていた中山と、司会の小堺一機が急にアドリブを振っても切り返しが早く、機転の利く松野のコンビは番組内でも重宝にされた。昼間の生放送にも拘わらず女子中高生を中心に知名度が上がり、それに伴い人気も急上昇[2]。アイドル雑誌にも数多く取り上げられた。同年10月、長年続いた『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の後継としてパーソナリティーに抜擢されるなど[1]、周囲からの期待は高かった。
当時、BIG THURSDAYの作家部門第1期生に合格し参加していた三谷幸喜も、ABブラザーズのネタを書いていたことがある[3][4]。
1986年7月には写真集「A&BEAT(エイトビート)」を発売。西武百貨店池袋本店で行われた発売記念の握手&サイン会には予想を上回る人数が集まり、当初予定していた会場には収まりきらず急遽会場を変更。トークショーを切り上げ、サイン会に移行しなければデパートの閉店時間までに会場撤収出来ない事態になるほど、その人気ぶりを見せつけた[注釈 1]。
その後も『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)の進行(月曜日レギュラー)に抜擢されるなど、新たなジャンルの仕事が舞い込むようになる。しかし、自分たちの個性でなくても成立する内容の仕事であることや次に繋がる布石がない不安などから、松野は疑問や違和感を持ち始める。多くの芸能人と華やかな仕事をすることにマルチタレントとしての新たな光明を見い出し始めた中山と、あくまで基本はお笑いタレントとして舞台やライブで勝負をしたい松野との間に意見の相違が生まれ、顕著に溝が出来始めた。テレビやラジオでも二人の会話は噛み合わず、コーナーを消化することだけに気を急いていたと、のちに松野は回想している。
「ライオンのいただきます」卒業後はコンビでの仕事は減っていき、正式に解散というより自然消滅に近い形での終了となった。中山はダウンタウン、ウッチャンナンチャンの台頭もあり、当時のマネージャーから「中山、負けを認めろ」と言われたことが解散のポイントであったとしている[5]。
また、まだコンビでやっている時期に、中山がビートたけしに初めて挨拶をし、コンビであることを説明したところ、それを知っているとした上で、「コンビに向いていない、ピンでやるべき」と指摘されており、これはその時点で既に2人の方向性にズレがあったことをたけしに見抜かれていたと回顧している[6][7]。
その後、中山はタレント・司会者、松野は小説家、コラムニストに転向。松野は2012年に雑誌のインタビューに応じた際、当時の時点で「20年以上顔を合わせていない」と述べている[8]。