B-4 203mm榴弾砲
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1931年に制式化され、冬戦争、独ソ戦、継続戦争などで使用された。26キロメートル以内の敵陣地を砲撃できる高射程[1]と高威力を活かし建造物の破壊などを主任務とし、赤軍の勝利に貢献した。
砲架及び揺架はBr-2 152mmカノン砲及びBr-5 280mm臼砲と共通のもので、車輪ではなく装軌式になっているが、動力は内蔵しておらず、自走することはできない。通常の車輪式ではなく履帯式としたのは18tにも及ぶ重量を支える為のもので、軟弱地に展開した際に車輪が地面にめり込むことを防ぐためのものであった。移動の際には砲架尾部に1軸2輪の車輪を備えた砲車を装着し、砲牽引車による牽引を行う。長距離を移動させる際には砲身と砲架を分割し、専用の砲車にて輸送された。このための分割/結合作業には平均して45分から2時間を要した。

第2次大戦後の1950年には独立した車輪架を片側2組、計4輪の大口径車輪を備える方式に改良され、 B-4M 203mm榴弾砲 M1956(ロシア語: 203 мм гаубица обр 1956 года(Б-4М)の名称で装備され、1960年代末には予備兵器とされたものの、書類上は1970年代の末まで装備されている。
また、本砲とその派生型の各重砲に用いられた特徴的な履帯式の砲架は、その後もソビエト/ロシアで開発されたいくつかの火砲のテストベッドとして用いられ、2A46 125mm戦車砲や2A88 152mm縦列連装榴弾砲(2S35 Koalitsia-SV(ロシア語: 2С35 «Коалиция-СВ» )試作自走砲の搭載砲)等の開発時に用いられている。
赤軍の他、第2次世界大戦後はキューバに供与された。独ソ戦開始当初にはいくつかがドイツ国防軍に鹵獲され、「20.3cm榴弾砲 503/3(r)及び20.3cm榴弾砲 503/5(r)(ドイツ語: 20.3 cm Haubitze 503/3(r), 20.3 cm Haubitze 503/5(r)」として利用された。
