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ジミー・ロリンズ

アメリカの野球選手 (1978-) From Wikipedia, the free encyclopedia

ジェームズ・カルヴィン・ロリンズJames Calvin Rollins, 1978年11月27日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身の元プロ野球選手遊撃手)。右投両打。愛称は「J-Roll」。

生年月日 (1978-11-27) 1978年11月27日(47歳)
身長
体重
5' 8" =約172.7 cm
180 lb =約81.6 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
ジミー・ロリンズ
Jimmy Rollins
フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2012年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州オークランド
生年月日 (1978-11-27) 1978年11月27日(47歳)
身長
体重
5' 8" =約172.7 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1996年 MLBドラフト2巡目
初出場 2000年9月17日
最終出場 2016年6月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2009年2013年
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かつて阪神タイガースでもプレーした元メジャーリーガーのトニー・タラスコは従兄にあたる。

経歴

プロ入りとフィリーズ時代

1996年MLBドラフト2巡目(全体46位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名され、プロ入り。この年は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級マーティンズビル・フィリーズ英語版で49試合に出場した。

1997年は、A級ピードモント・ボールウィービルス英語版で139試合に出場し、フィリーズ傘下最多の46盗塁を記録した[1]

2000年は、AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レッドバロンズで開幕を迎えた。スランプに陥るも、調子を取り戻していった[1]。打率.274、24盗塁、リーグ最多の11三塁打を記録し、シドニーオリンピック野球アメリカ合衆国代表の候補にもなった[1]。9月17日、フロリダ・マーリンズ戦でメジャーデビューを果たした。

2001年は、リーグ最多の12三塁打、46盗塁で盗塁王を獲得し、ラリー・ボーワ1974年に記録した連続盗塁成功の球団記録20を更新する35連続盗塁成功している[2]新人王では3位にランクされた。

2002年は、リーグ最多の10三塁打を記録し、昨年に続き2年連続でオールスターゲームに選出されたが、自己ワースト打率.245と低迷した。この年のオフ、日米野球のMLB選抜として来日した。

2004年は、2001年のメジャー定着以降3年連続で三振が100を上回っていたが、大振りが減り、鋭いゴロを打つように徹するようになり、73まで三振を減らした[3]。打率はメジャー定着後最高の.289を記録し、得点は初めて100の大台を超えた。

2005年6月には球団と5年総額4000万ドルで契約延長した[4]

2005年8月23日から36試合連続安打を記録し、シーズンを終え、1899年のエド・デラハンティが持つ球団記録31を更新[1]。その後連続安打は2006年4月5日に歴代8位の38試合で途切れた[5]

2006年は、チェイス・アトリーライアン・ハワードパット・バレルとともに20発カルテットを結成したが、ナショナルリーグ東地区首位のニューヨーク・メッツに12ゲーム差を付けられ地区2位に終わった。

フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2007年8月16日)

2007年は開幕前に「今季はウチが地区最強」と発言[6]。4月チームは11勝14敗と負け越し[7]、ロリンズは好調だったが戦犯に挙げられた[6]。しかし、チームの逆転勝利はリーグ最多の48回あったが、ロリンズはこれに最も貢献[8]。9月12日の時点で地区首位のメッツと7ゲーム差あったが、9月30日のシーズン最終戦を同率首位で迎え、ロリンズはシーズン20三塁打を達成し、カーティス・グランダーソン(同年9月9日達成)に次いで、史上4人目となる「20盗塁・20二塁打・20三塁打・20本塁打」を達成[2]。チームは勝利を収めメッツは敗れたため、地区優勝を果たした[7]

全162試合に出場し、球団史上2人目のべ3回目、遊撃手としてはMLB史上3人目となる30本塁打、30盗塁を達成[2][9]。メジャー新記録となる778打席、716打数、ナ・リーグ遊撃手新記録となる139得点、88長打、両打者記録となる380塁打[10]を記録[11]。接戦と予想されたMVPの投票ではマット・ホリデイが本命で、プリンス・フィルダーが対抗と見られ、穴馬と見られていたロリンズがナショナルリーグMVPに選出された[11]。また、自身初のシルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞を受賞。

2008年は、故障の影響で、2001年にレギュラーに定着して以来最小となる137試合の出場に留まった。その影響で、得点が5年ぶりに100を下回り、それまで2年連続で25本以上放っていた本塁打数も11本まで減少した。しかし、盗塁数は2001年に盗塁王に輝いた際に記録した自己最高の46盗塁を1つ更新し、自己記録を47盗塁とした。

2009年は、開幕前の3月に第2回WBCアメリカ合衆国代表に選出された[12]

シーズンでは、年間通じて打率が低迷。4月を打率.207、1本塁打、6打点という数字で終えると、5月22日のニューヨーク・ヤンキース戦で一端、打率が.240となったものの、その翌日から再び打率が下降し始め、6月末には打率が.207まで下がった。しかし、オールスター戦以降は74試合に出場して打率.272、14本塁打、43打点を記録するなど、開幕時点と比較すると打率が大幅に上昇した。それでも、シーズン通算打率は、2002年に次ぐ.250という低さだった。一方で、後半戦に14本塁打を放った為、本塁打は2年ぶりに20本以上の数字を記録。自身3度目となる20本塁打・20盗塁の同時達成を記録した。

2010年は故障に苦しみ、ルーキーイヤー以来、10年ぶりに規定打席到達を逃した。また、打率.243という数字は、ロリンズのキャリアを通じて自己最低の数字であった。だが、故障した一方で、通算150本塁打の達成、前年より60試合以上出場試合数が少ない中で前年とほぼ同数かつ三振以上の四球40を記録した。

フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2012年6月10日)

2011年12月17日、3年3300万ドルで契約を延長した(4年目球団側オプション付)。

2013年開幕前の2月27日に第3回WBCアメリカ合衆国代表に選出された事が発表され[13]、代表入りし[14]、2大会連続2度目の選出となった。

フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2014年7月6日)

2014年シーズンのオフにフィラデルフィアの子供と家族に向けた複数のチャリティー活動に対してロベルト・クレメンテ賞が授与された。同年はシカゴ・ホワイトソックスに所属するポール・コネルコも本賞を受賞した。同賞を2名が同年に受賞するのは史上初である。

ドジャース時代

2014年12月19日にザック・エフリントム・ウィンドルとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[15]

ロサンゼルス・ドジャース時代
(2015年5月20日)

2015年11月2日にFAとなった[16]

ホワイトソックス時代

2016年2月22日、シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[17]。開幕直前の3月30日にメジャー契約を結び、開幕25人枠入りした[18]。開幕後は遊撃のレギュラーとして起用されていたが、41試合で打率.221、2本塁打、8打点、5盗塁と振るわなかった。同ポジションで有望株のティム・アンダーソンと入れ替わる形で6月10日にDFA[19]、15日に自由契約となった。

ホワイトソックス退団後

2016年12月19日、サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。契約条項にはメジャーのスプリングトレーニングへの招待権が盛り込まれた[20]2017年3月31日に放出された[21]

2019年1月にスペシャル・アドバイザーとしてフィリーズに復帰した[22]。5月4日に正式に引退を発表し、セレモニーが催された[23]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
2000 PHI 145553517110205300020070.321.345.377.723
2001 15872065697180291214275544689548221085.274.323.419.743
2002 1547056378215633101124260311364543410314.245.306.380.686
2003 1566896288516542682436220125254401139.263.320.387.707
2004 15472565711919043121429973309625733734.289.348.455.803
2005 15873267711519638111229254416224784719.290.338.431.770
2006 15875868912719145925329833640757258012.277.334.478.811
2007 162778716139212382030380944160649578511.296.344.531.875
2008 1376255567615438911243594733358755511.277.349.437.786
2009 1557256721001684352128477318254412707.250.296.423.719
2010 883943504885163813141171034021324.243.320.374.694
2011 142631567871522221622663308035853599.268.338.399.736
2012 1566996321021583352327068305236220969.250.316.427.743
2013 160666600651513626209392263359619312.252.318.348.667
2014 1386095387813122417212552863364211006.243.323.394.717
2015 LAD 1445635177111624313185411281144008612.224.285.358.643
2016 CWS 41166149253381249852011600332.221.295.329.624
MLB:17年 2275102409294142124555111152313889936470105425381352381264136.264.324.418.743
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  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高

WBCでの打撃成績

さらに見る 年 度, 代表 ...














































2009[24] アメリカ合衆国 8302441012118441040121.417.500.750
2013[25] 629284910010011010050.321.345.357
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年度別守備成績

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二塁(2B)遊撃(SS)
























2000 PHI -13232219.978
2001 -1572164261499.979
2002 10000----1522264551490.980
2003 -1542034631492.979
2004 -154214399988.986
2005 -1572074111280.981
2006 -1572134461196.984
2007 -16222747911110.985
2008 -132193393771.988
2009 -155212389672.990
2010 -87102277653.982
2011 -138181393779.988
2012 -1562043771374.978
2013 -1531904241189.982
2014 -131158398764.988
2015 LAD -134166351965.983
2016 CWS -354786218.985
MLB 10000----2227298261391541249.983
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  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞

タイトル

表彰

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:3回(2001年2002年2005年
  • 38試合連続安打(2005年8月23日 - 2006年4月5日、MLB歴代8位)
  • シーズン打席数:778(2007年、史上1位)
  • シーズン打数:716(2007年、史上1位)
  • 通算初回先頭打者本塁打:46(歴代6位、2020年シーズン終了時点)[26]

背番号

  • 29(2000年)
  • 11(2001年 - 2002年、2004年 - 2015年)
  • 6(2003年)
  • 7(2016年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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