Summarize Top Qs Fact Check
以下では、ロジバンの文法についてごく簡潔に解説する。そのため、初学者の学習テキストとしては適していないおそれがある 。学習する際は、外部リンク の教材を参考にするのが望ましい。
概念 と 訳語
ロジバンはその基盤として述語論理を採用しており、自然言語とは基本的な部分で異なっている。そのため、これを体系的に解説・把握する上で一般の言語学用語では間に合わない場合があり、ここでロジバン独自の概念をいくらか導入しておく必要がある。その前に、ロジバン独自の文法用語に対する訳語について簡単に触れておく。
2015年現在、日本語によるロジバン文法の入門書・解説書がいくつか出てきたため、訳語の体制は若干整いつつもある。しかしながら、日本のロジバンコミュニティの全体的な傾向として、ことさら訳語を充てずにロジバン本来の単語を用いているため、完全に確立された訳語体系は未だない。ロジバンの最も主力の文法書である "The Complete Lojban Language" の日本語抄訳[ 13] においても、ロジバンの用語はカタカナに転写するのみであり、訳をあてていない。この傾向はロジバン研鑽の中心である英語圏でもみられる。以下は、入門書 "Lojban Wave Lessons"[ 14] の "Foreword" の一節である:
Lastly, I have as far as possible attempted to use the Lojban words for grammatical constructs: sumka'i instead of pro-sumti, sumtcita instead of modal and jufra instead of utterance. This is because I feel the English words are often either arbitrary, in which case they are just more words to learn, or misleading, in which case they are worse than useless. In either case, as long as the words are specific to those who are learning Lojban anyway, there is no reason for them to exist as separate English words.
とはいえ、ロジバンの文法用語のいくつかにおいては、その基盤である形式論理学の用語を充てているものもある。たとえば、bridi、sumti、selbri といった用語はそれぞれ形式論理学の「命題」、「項」、「述語」としばしば訳されている。しかしながら、これらの概念は完全に同一ではないことに注意されたい。
以上の傾向を踏まえて、本記事においても、ロジバンの文法用語を無理に訳さず、オリジナルの単語を用いることにする。それでも、日本語話者の共通理解を準備するものとして、暫定的な日本語訳を提示しておくことは完全に無意義ではないだろう。以下の表では、ロジバン文法に関する、ロジバン由来および英語由来の文法用語にどのような日本語の文法用語が対応しうるかを示してある。
* ロジバンには文法範疇 としての格 は存在せず、これに相当する語句の関係は place structure に内部化されている。文中の語順を変えるとき、この内部的な関係を維持するために該当語句に標識を付けることになり、この機能を日本語の格助詞になぞらえることができる。
brivla(ブリヴラ)、ma'ovla(マホヴラ)、そして cmevla(シメヴラ) は、それぞれ異なる形態法則に基づいており、形からはけっして混同されないようになっている。ロジバンの形態論上の三品詞である。多くの他言語と異なり、ロジバンでは品詞型と構文上の働きが独立している。品詞型そのものが構文上の働きを決定しないということである。例えば英語の名詞はその品詞型ゆえに述語となることがないが、 brivla をはじめとするロジバンの三品詞は述語にも主語(のようなもの)にもなる(後続の表を参照)。ただしこれは三品詞が文中においてどっちつかずの曖昧な存在であるということではない。構文上どのような振舞いをするかについては精密な統語論が設けられている。また、言葉の形が文法範疇に応じて変化することはないため、屈折 や活用 、ディクレンション 、格変化 などはロジバンにはない。
ma'ovla と cmevla という名称は、それぞれの語源である cmavo と cmene に略される。むしろそちらの方がコミュニティにおける実際の使用率は高い。 なお、valsi は「語」を意味する。 brivla との語呂が合致して品詞関係を把握しやすくなることから、 cmavo と cmene にそれぞれ valsi を付け加えた合成語、 ma'ovla と cmevla を用いることが正規の解説では有意義である。
ma'ovla には多くの下位分類がある。その一つ一つに分類名称(selma'o / セルマホ)が付いている。例えば attitudinal(心態表現に関する語)は UI という類名に属する。これは、代表的な attitudinal である ui という語に由来している。このように各類名はそれに属する象徴的な ma'ovla が元となっている。広義では同じ UI 類でも、たとえば evidential と discursive (ロジバン-日本語辞書ではそれぞれ「認識系」、「談話系」と訳されている)はさらに UI2 と UI3 という具合に狭義化されている。これらの類名は本格的な構文解析やパーサ 開発の中で求められた区分であり、普段の会話で重視する必要はない。同類の ma'ovla は同じ文法に従うため、学習の際の参考材料にはなる。例えば UI 類の用法(文法的振る舞い)を習得するということはこれに属する ma'ovla を既知・未知に関わらず全て文法的に正しく使えるようになるということである。以下は ma'ovla の分類をいくらか簡略化した表である:
digit/number
PA
数詞 、時数詞 、量化子
数量詞
descriptor
LA LE
冠詞
冠詞
abstractor
NU
形式名詞
抽象詞
pro-sumti
KOhA
代名詞 、関係代名詞
代項詞
pro-bridi
GOhA
代述詞
attitudinal
UI
心態詞
emotion
UI1
感動詞 、間投詞
感情系
evidential
UI2
法助動詞
認識系
discursive
UI3
定義副詞
談話系
modifier
UI4-5
感動詞 、間投詞
修飾系
vocative
COI
間投詞 (呼格 )
呼応系
connective
A BIhI JOI GA GAhO GI GIhA GUhA JA
接続詞 、論理演算子
接続詞
operator
NAhU NUhA PEhO BIhE FUhA VUhU MAhO
演算子
演算詞
tense
PU ZA VA ZEhA VEhA VIhA FAhA KI
助動詞 、時詞
間制詞
aspect
ZAhO ROI TAhE FEhE
助動詞
相制詞
modal
BAI
助動詞
法制詞
rafsi は、全ての gismu および幾つかの cmavo に具わる、語の合成に用いられる形態素である。これのみから合成されるのが lujvo であり、部分的に用いるのが fu'ivla である。 rafsi は単独では働かず、かならず他の文字列と結びついて用いられる。このことから rafsi は形態論・統語論の両面に関して独自の品詞型を呈さない。
jufra
li'erpau + cnipau + bridi
文 (sentence)
文
li'erpau
話題 (prenex)
話題部
cnipau
(attitudinal)
心態部
bridi
terbri + selbri + sumtcita
命題 、式 (論理式 /原子論理式 ) (proposition)
命題部
selbri
brivla
ma'ovla + sumti ( ma'ovla + brivla ) + ma'ovla
ma'ovla + sumti ( ma'ovla + cmevla ) + ma'ovla
ma'ovla + bridi + ma'ovla
ma'ovla + ma'ovla
賓辞/述語 (predicate)
述辞
terbri
* sumti
ma'ovla
ma'ovla + brivla
ma'ovla + cmevla
主辞/主語 、目的語 、補語 項 、変数 (argument)
項辞
sumtcita
名辞 、付加詞 (term/tag)
付辞
tense
時制** /テンス
間制
aspect
相/アスペクト
相制
modal
法/ムード 、モダリティ
法制
* 項としての性質を持つ単位全般を sumti と呼ぶ。 bridi を築くうえで selbri のとる sumti は特に terbri と呼ばれる。 li'erpau と sumtcita でも sumti は用いられうる。
** ロジバンでは時間だけでなく空間も tense の対象となる。よって、日本語の「時制」という限定的な用語を当てはめるのは不適切である。日本語訳としては両者の共通文字である「間」をとって「間制」としたものが最も定着している。これに伴い、相を表す aspect と法を表す modal にも「制」の字を持たせている。
全ての selbri が有する、構文上の terbri の配列規則を place structure という。項としてどのような terbri を幾つ取り結ぶかは selbri の意味範疇や主題役割 により様々である(結合価 を参照)。デフォルトでは最大五つだが、必要に応じて拡張できる。項位置 としての諸 terbri の配列は x1 x2 x3 x4 x5 と表す。 gismu 表などでもこの表記が用いられる。
或る事象における能動・受動の関係すなわち態 は、該当する selbri の place structure 中に内項と外項 の違いとして内部化されている。このため、文面上では主格言語(例:日本語、英語)と能格言語 (例:バスク語、チベット語)の相違に拘束されない。主観的な能動性・受動性を強調するための処方としては UI 類 ma'ovla を使うものがある。
幾つかの selbri が連なって意味合が重層化したものを tanru という。構成要素は修飾側(seltau)と被修飾側(tertau)とに分かれ、後者が基本の place structure を提出する。よって統語論上はあくまでも単一の selbri として振舞う。 selbri に該当するものは全て sumti 化することができるので、 tanru もまた sumti 化することができる。なお、 jvovla は tanru を一語化したものと捉えられる。
音韻論(概要)
ロジバンでは音声 が基盤となって文字 が派生する。発音にたいする綴りの忠実さを維持できるかぎりではどの文字体系 の使用も認められる。したがって“公式”のアルファベットを持たない。現在の主流(2014年10月現在)はコンピュータ の入力規格として普遍的なアスキー 式である。言文が一致するということが前提となっているので、書言葉は口言葉と表裏一体であり、音韻論 の明確さは表記法 の精巧さに反映される。
形態論(概要)
ロジバンの言葉は、その姿(音・綴り)から三つの型に分けられる。 brivla ・ ma'ovla ・ cmevla である。これら三つの形態品詞 は、それぞれに固有の音声構造すなわち子音(C)と母音(V)の並び方に特徴づけられており、互いに混同されないようになっている。すなわち、ロジバンにおいて或る語が発せられるとき、読み手・聞き手は、その語の意味を知らなくとも品詞は察知できる。これはロジバンに固有の言葉と外から借り入れる言葉とが同音異義語 となるのを防ぐうえで有意義である。たとえば「近畿大学」という日本語名称を英語に持ち込むと「Kinki University」となるが、「kinki」の音は「kinky」と重複し、「近畿」本来の意味を知らない英語話者には「Kinky University」すなわち「変態大学」と解されかねない。ロジバンでは借入語をその音形から固有語と区別できるのでこのような問題が起こらない。
統語論(概要)
ロジバン文の統語論的利点は、自然言語の構文の曖昧 さと比較するところで認識される。たとえば、以下は日本国憲法序文からの日本語文の引用である:
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
主語「われら」にたいする述語は末尾の「信ずる」だが、その途上にまず「無視してはならない」という別の述語が介在しており、また他の語句や読点による不規則的な区分が交わってきて文の仕組がやや煩雑となっている。そこでは、パーサなどが「われらは~無視してはならない」と「政治道徳の法則は~と信ずる」などの誤った区分に基づいて解析してしまうのを免れるのが困難となっている。これは自然言語の曖昧さ である。このような曖昧性を越えて文の真意を推しはかるには一定の抽象化(たとえば「われら」と「無視してはならない」の間にある文法的引力を恣意的に看過しながら文末の「信ずる」を結びとして優先し、これを受け取ったところで前半の節を参照し直す過程)が要されるが、それと引き換えに文成分の合理的な流れが犠牲となる。ロジバンの統語論 は、自然言語にみられる文法上のこのような多義性 を根本から回避している。また、上記のような長文の記述においては、統語論的一貫性を維持しながら語順 を自在に変化させて認知的 に易しい表現を模索することができる。曖昧でない構文はまたコンピュータ にとっても扱いやすい記述につながり、この形式言語 的な性格からロジバンはプログラミング言語 の一つとしても使用できるという潜在性を持っている(ロジバン用のコンパイラ が現在存在するわけではない)。 [ 要出典 ]
ロジバン文の中核をなすのは、事物と事物との関係を表す selbri である。
.i do mamta mi
.i do patfu mi
この二つの表現の差は、{do} と {mi} とがどういう関係にあるのかを表す selbri {mamta} と {patfu} の違いにある。 selbri によって取り結ばれている {do} や {mi} は terbri であり、 selbri と terbri のまとまりが bridi である(つまり {do mamta mi} というまとまりは一つの bridi である)。 selbri は全て、どのような terbri をどのように取り結ぶのかについて公式に定義されている。これを place structure (以下 PS ) という。 mamta と patfu は異なる PS を有する。 PS の違いが命題 の違いを成す。或るロジバン文を理解するということは、どの terbri がどの selbri の PS によって取り結ばれているのかを把握することである。取り結ばれ方は非曖昧であり、文法的に正しい bridi の構造の解釈は一通りに決まる。
lo ti mamta cu mamta lo ta mamta
{mamta} という言葉が三つ登場しているが、そのうちの一つが主要の selbri である。他の読み方はなされえない。文法的に正しい認識は次のようである:
lo ti mamta
cu
mamta
lo ta mamta
terbri
selbri
terbri
bridi
文
つまり中央の {mamta} がメインの selbri で、他の {mamta} は terbri の一部であるということ。
西洋言語における文法概念との比較においてしばしば取り上げられる「象は鼻が長い」という日本語の題述構造 の文は、ロジバンにおいて次のように忠実に再現される:
lo xanto
zo'u
lo nazbi
cu
clani
sumti
terbri
selbri
li'erpau
bridi
文
{lo xanto} (象)を話題 として {zo'u} が区切り、続いて terbri {lo nazbi} が selbri {clani} と結びつく。 {cu} は terbri と selbri の区切を示す。この区切が無いと、1) {nazbi} は {clani} に流れて {nazbi clani} という一つの selbri をまず形成する、2) これを冠詞 {lo} が取り込んで terbri 化する、3) 結果、この文から selbri が消失する。
(terbri は sumti の一種である。 sumti のうち、 bridi の部品であるものが terbri。 sumti は項として扱えるもの全般を指し、そのうち selbri が取るものを特に指すのが terbri。)
英語の「Elephants have long noses.」は次のように再現される:
su'o lo xanto
cu
ponse
lo clani nazbi
terbri
selbri
terbri
selbri が替わるほか、 terbri が二つになる。
上の二例を折衷するかたちでより一般的なロジバン表現に書き換えると次のようになる:
lo xanto
cu
nazbi clani
terbri
selbri
あえて日本語に訳し返せば「象は鼻長である」といった趣に近い。ここでは terbri は {lo xanto} 一つであり、これが selbri {nazbi clani} と結びついている。
命題の生成には関与しないところで感情 や態度を表すことができる。これには ma'ovla の一種 cnima'o (心態詞)を用いる。
.ui
lo pendo
cu
klama
terbri
selbri
cnipau
bridi
文
文の論理性に寄与しないことから cnima'o の文法空間 cnipau は基本的に li'erpau と bridi から独立している。それでも cnima'o が修飾するのはあくまで文の特定の内容物であり、実際の文面ではしばしば基本の垣根を越えて li'erpau や bridi 中に入り込むことになる。ここでは文の開始を意味する {i} に係っているので文全体を修飾している。 {lo pendo cu klama} (友達が来る)という事象全体について {.ui} で嬉しさが表されている。左の語に係るというこの原理は恒常である:
lo
.ui
pendo
cu
klama
terbri
selbri
bridi
冠詞に係っているので冠詞の中身全体を修飾する。
lo
pendo
.ui
cu
klama
terbri
selbri
bridi
「友達」の部分だけに係っている。
lo
pendo
ku
.ui
cu
klama
terbri
selbri
bridi
terbri の終わりを示す語に係っているので terbri 全体に係る。
lo pendo
cu
klama
.ui
terbri
selbri
bridi
前者三例は「友達」にたいする嬉しさの微妙な違いを表し分けている。後者は「来る」という事象についての嬉しさを表している。このように cnima'o の対象範囲は常に明確である。また必要があれば対象範囲は特定の処方によって自由に拡張させられる。
語順は自由に変えることができる。要となる原理は PS である:
mi
ra
ti
ta
ciska
x1
x2
x3
x4
x1 x2 x3 x4 は selbri {ciska} の PS の変数項である (このような変数項は結合価 として他の自然言語にも存在し、ロジバンはそれを辞書で明文化しているにすぎない)。それぞれに {mi} {ra} {ti} {ta} という terbri が収まっている。「私は・あれを・ここに・あれで、書く」という日本語表現の語順すなわち SOCV をそのまま反映させた形となっている。厳密にはロジバンの selbri は動詞でも形容詞でもなく、また terbri は主語でも目的語でもないので、 S や O や V とのアナロジーはあくまで擬似的なものでしかない。英語の SVOC を模せば次のようになる:
mi
ciska
ra
ti
ta
x1
x2
x3
x4
selbri の位置を移すだけでなく、 terbri 同士を入れ換えることもできる:
ra
se ciska
mi
ti
ta
x2
x1
x3
x4
ta
ve ciska
ra
ti
mi
x4
x2
x3
x1
fe ra
fi ti
ciska
fa mi
ta
x2
x3
x1
x4
結果として如何なる言語の訳においても本来の語順を正しく反映させることができるようになっている。
先ほどはあった {cu} がこれらの例に無いのは、 {mi} {ra} {ti} {ta} といったものがここではそれぞれ terbri としてしか解釈しえないので selbri との区切を明示する必要がないからである。このように、文成分の境界を示すために用意されている境界子は条件に応じて省略されうる。言い換えれば、解析上の曖昧さが危惧される場合には相応の境界子で対処する。これらによって解決できない構文の曖昧性は実質的に無い。
一般の言語では文の境界を句点 や終止符 で示す。これは書言葉の産物であり、口言葉における直の対応音声を持たない。たとえば「僕は町に行く。君が僕を待っている。」における二つの句点(。)は音声化されない。文が分かれていることはイントネーション によって漠然と示される。一方、言文の一致に基づくロジバンでは、文の区切を無音の記号ではなく有音の言葉で表す:
{i} に付いている点は音韻論上のものであり、これ自体が文の区切を示しているわけではないことにまず注意されたい。
文の接続を意味するものなので、文の間だけに置く。英語の終止符などと違い、文が続かない場合には必要とされない。このことから、「以上/完」よりも「そして」という語感を帯びやすいが、もっぱら論理的な「そして/AND」や時間的な「そして/THEN」を表す言葉は別に用意されている。
文の繋がりに論理性や時間性などを含める処方としてまず相応の言葉をそのまま {i} と組み合わせるものがある:
lo nu go'e
cu
mutce nandu
左項右項とある接続部のうちの一つを出したあとに接続を開始することからこの例は後置接続(afterthought connective)と呼ばれる。
両接続部よりもまず先に接続の言葉を出しておくという用法もある:
lo nu go'e
cu
mutce nandu
これは前置接続(forethought connective)と呼ばれる。 {i} が併用されていないが、接続されているものは文である。