ボリビアの独立100周年にあたる1925年 、ギジェエモ・キルマン(Guillermo Kyllman)は、ボリビアに航空会社を設立しようと、政府や商人たちに働きかけた。
同年7月に乗員2人、乗客4人ユンカース F.13 がドイツから寄贈された[ 1] 。最初の乗客を乗せての飛行は、8月2日 で、コチャバンバ上空を20分間飛行した。[ 1] 。8月5日 には、コチャバンバとスクレの間を1時間30分で初飛行を行った。
同年9月15日 、ラパス で政府や国会議員、産業界の代表者が集まり、設立総会が開かれた。本社はコチャバンバ に置かれることになった。会社の代表には、ギジェエモ・キルマンが就任した[ 2] 。最初の乗客を乗せての飛行は、8月2日 で、コチャバンバ上空を20分間飛行した。社の名前のLloyd は、乗客が安全をイメージするように、イギリスの保険市場のロイズ からとった。
1928年 、路線拡張のため新たに3機の旅客機を購入。同年には、パイロットと整備士の養成学校(la Escuela de Pilotos y Mecánicos de Aviación del LAB )を設立した[ 3] 。この学校からホルヘ・ウィルステルマン が卒業し、彼はボリビア人 初の民間人パイロットとなった。また1930年 には、ブラジルへ初の国際線を飛ばした。
1932年 にボリビアとパラグアイ の間で起きたチャコ戦争 では、ボリビア軍に航空機と人員の提供を行った。
1941年 5月14日 、ボリビア政府100%出資の国有企業になる。
1957年 、ロッキード L-188 を導入。1968年 には、ボーイング727 の導入と、FH-227 の導入のための融資も決まる。1970年代に入ると、ボーイング727の就航でアメリカ合衆国や南米各地へ国際線を飛ばすようになり、黄金期を迎えた。
LABのボーイング727
1994年 ごろより経営悪化が顕著化し、ボリビア政府は準民営化の模索を始める。1995年 、ブラジル のVASP航空 が株式51%を購入することで資本提携を結ぶ。機体にVASPと同じ塗装ほどこすなど、業務の一体化を進める。しかし、VASP航空も無理な業務拡大路線で経営が悪化。2001年、アメリカ同時多発テロ事件 での利用客減少によりVASP航空はLAB航空の株式をボリビアの投資家に売却し、資本提携は解消される。
2007年 3月30日 をもって、すべての運航が停止した。その後、アエロスール航空 の支援で、チャーター便の運航が続けられた。しかし、2010年に、事業免許が取り消された。