La-200 (航空機)

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«200» (製品200 / ロシア語:Изделие 200)、通称La-200 (ロシア語:Ла-200)は、ソビエト連邦ラヴォーチキン設計局が試作した戦闘機である。全天候戦闘機として開発されたが、Yak-25に敗れて不採用に終わった。

概要

«200» (Изделие «200»)
La-200 / Ла-200

«200»

«200»

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開発

1948年1月に提示された全天候戦闘機の開発要求に対し、ラヴォーチキン設計局は製品«200»案で応じた[1]。競合機はミコヤン・グレヴィッチ設計局の製品«R»(後のI-320)、スホーイ設計局の製品«P»(後の初代Su-15)、ヤコヴレフ設計局Yak-50だった[2]

«200»は40度の後退角を持つ後退翼機で、操縦席は並列複座。武装はN-37 37 mm機関砲3門。エアインテークの中央には「トリイ(Торий)」レーダーを収めたレドームがある[1]。搭載するエンジンはダーウェント Mk.V 2基、RD-45F 2基、TR-3英語版 1基などが検討されたが、最終的にはRD-45の改良型であるクリーモフ VK-1を2基搭載することになった[1]。径の大きい遠心式ジェットエンジンの空気抵抗を低減させる目的で、エンジンは胴体の前後にタンデム配置する構造を採用した[3]。機首のエアインテークは内部で3分され、中央のダクトが前部エンジン用、左右のダクトが後部エンジン用だった[1]。前部エンジンの排気口(ノズル)は胴体中央下部にある[2]。この特徴的なエンジン配置は競合機のI-320やSu-15も採用していた[2]

試作1号機は«200-1»と称され、1949年9月9日に初飛行した。まだレーダーは未搭載だったが、水平飛行でマッハ0.946、ダイブでマッハ1.01を記録した。試作2号機(«200-2»)はレーダー付きで完成し、1951年4月まで試験が行われた。一連の競合機の中で本機は唯一すべての国家試験に合格し、一度は量産の勧告がなされたが、実行には移されなかった[1]

7ヶ月後、航続距離と滞空時間を大幅に増加させた新仕様が提示され、これに対応するために設計変更が行われた。試作3号機は«200B»と称され、新型レーダーである「ソーコル(Сокол)」が新たに搭載されたが、レドームの大型化に伴ってエアインテークの形状が変化した[1]

«200B»は1952年7月3日に初飛行した。この時点ではレーダーはまだモックアップで、レーダーを実装しての試験飛行は9月10日より行われた[4]。試験飛行は109回行われたが、同時期に試験されていたYak-120がYak-25として採用されることが決定したため、本機は不採用となった[4][5]。試験終了後、3機の試作機は同じく不採用となったI-320とともに各種レーダー(「トリイ」「ソーコル(Сокол)」、「イズムルード(Изумруд)」など)の試験機として利用された[6]

スペック

«200»と«200B»の形状の違い
さらに見る «200-1», «200B» ...
«200-1» «200B»
全幅 12.92 m m 12.92 m
全長 16.73 m 17.32 m
翼面積 40.00 m2 40.00 m2
後退角 40° 40°
自重 N/A 8,810 kg
最大離陸荷重 10,205 kg N/A
エンジン クリーモフ VK-1 (26.48 kN) クリーモフ VK-1A ( 26.9 kN)
最大速度 1,090 km/h (高度3,500 m) 1,030 km/h (高度5,000 m)
1,007 km/h(高度 10,000 m)
上昇率 5,000mまで2.5分 N/A
最高到達高度 15,000 m 14,125 m
航続距離 1,300 km 2,040 km
武装 N-37 37 mm機関砲 3門 N-37 37 mm機関砲 3門
乗員 2 2
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脚注

参考文献

関連項目

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