Su-15 (航空機・初代)

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Su-15 «P» / Су-15 «П»

Su-15(スホーイ15、スホイ15;ロシア語Су-15スー・ピトナーッツァチ)または«P»«П»ペー)は、ソビエト連邦スホーイ設計局で開発された戦闘機。全天候戦闘機として開発されたが、試作機の墜落により開発中止となった。本機の失敗が原因で、スホーイ設計局は閉鎖されることになる。

スホーイ設計局では当初、「トリイ(Торий)」レーダーを搭載した全天候戦闘機の案として、Su-9を発展させたSu-13 «TK»を検討していた。だがSu-13は実機製作まで至らず、新設計の機体を改めて検討する方向に転換した[1]。より高速な機体を実現するには後退翼の採用が必要不可欠と考えられたためである[2]

1947年3月、ソビエト連邦の閣僚会議はスホーイ設計局内で製品«P»と称された新型迎撃機案を承認し、Su-15と命名した[3]。要求性能は、最大速度1,050 km/h (海面高度、高度5,000 mでは1,000 km/h)、上昇時間6.5分(高度10,000 mまで)、航続距離1,600 km(機内燃料、増槽付きで2,000 km)、実用上昇限度15,000 mというもので、37mm 機関砲3門を武装とした[2]。当初は1948年7月までに完成させ、国家試験を受けるように指示されたが、1947年6月には他の設計局の案を含む試作機案が追加承認され[2]、1948年1月に改めて全天候戦闘機の開発要求を行ったため[4]、期限は1948年11月に延長された[2]。1948年1月の要求に応じ提出されたのは、スホーイ設計局のSu-15のほか、ミコヤン・グレヴィッチ設計局の製品«R»(後のI-320)、ラヴォーチキン設計局の製品«200»(別名La-200)、ヤコヴレフ設計局Yak-50などであった[5]

Su-15は中翼配置の後退翼機で、後退翼はTsAGIから提供されたデータに基づき設計された[3] 。後退角は諸説あり、30度とする説[3][6]と35度とする説がある[2]。尾翼は後退角を持つ十字尾翼であった[7]。機首のレーダーはSu-13に引き続き、「トリイ(Торий)」レーダーを搭載した[3]

エンジンは当初はダーウェント Mk.VRD-500)が検討されていたが、より強力なクリーモフ RD-45に変更された。いずれも径の大きな遠心式ターボジェットエンジンであり、空気抵抗を低減しながら胴体内に収めるための策として、胴体内の前後にエンジンをタンデム配置する構造を採用した[8][2](I-320やLa-200も同じ問題に直面し、同様のエンジン配置を採用している[8])。前部エンジンは胴体中央下部に8度13分傾けて配置され、後部エンジンは胴体尾部に配置された。排気口も2ヶ所あり、前部エンジンの排気口は胴体中央下部にある[9][3]。機首のエアインテークは内部で左右に分岐しており、左側が前部エンジン、右側が後部エンジンに通じる[2]。胴体右側に後部エンジンのエアダクトを通している関係から胴体内部構造は左右非対象となっており、コックピットは機体中心線より10cmほど左にずれ、機内燃料タンクも左側に寄っていた[7]

Su-15のモックアップは1947年末に完成し、1948年2月に当局に承認された[7](1948年夏とする説もある[3])。試作1号機(レーダー未搭載)は1948年10月8日に完成し、地上テストを経て11月10日に初飛行が試みられたが、操縦桿の不備で離陸に失敗。オーバーランして溝に落ちた際に前脚とフラップ、前部エンジン周辺が破損した[7]。機体修理とエンジンの交換に手間取り、ゲオルギー・ミハイロヴィッチ・シヤノフロシア語版によって1949年1月11日にようやく初飛行した[7]

テストでは離陸距離450 m、着陸距離600 m、上昇性能は高度5,000 mまで2.5分と計画値通りの性能を示したが、570 km/hから830 km/hの速度域で起きる機体振動(バフェッティング)が課題となった。その後、1949年5月にはエンジンをアフターバーナー付きのRD-45Fに換装し、テストを再開。音速突破が期待されたが、機体振動の問題は解消しなかった[7]。1949年6月3日、セルゲイ・ニコラエヴィチ・アノーヒン英語版による39回目のテスト飛行において、速度870 km/hに達したところで激しいフラッター現象が発生。操縦不能となってアノーヒンは機体を放棄して脱出した[6][7]

1号機の墜落により、Su-15の開発は中止された[3]。同機の墜落はTsAGIからも非難され、並行して開発していたSu-17 «R»の設計にも疑義が生じて飛行許可が下りないなど、設計局の活動に大きな影響を与えた[10]。スホーイ設計局は1949年11月1日にヨシフ・スターリンによって解散が命じられているが、本機やSu-17に対する非難が理由とされている[6]

試作2号機の製造は進捗42 %まで進んでいたが、1号機の墜落を受けて中断され、未完に終わった。このほか、未完に終わった計画案としてはタンデム複座の練習機型や、燃料搭載量を増やした護衛戦闘機型、護衛戦闘機型の発展型としてエンジンをTR-3英語版 軸流式ターボエンジン単発に換装する案などがあった[7]

スペック

出典:「スホーイ ジェット戦闘機の系譜 (2)」46頁[11]

  • 全長:15.44 m
  • 全幅:12.87 m
  • 翼面積:36.00 m2
  • 空虚重量:7,409 kg
  • 離陸重量:10,437 kg
  • 最大速度: 1,032 km/h (海面高度)、1,045 km/h (高度5,000 m)
  • 実用上昇限度: 15,000 m
  • エンジン:クリーモフ RD-45F ターボジェットエンジン (推力 2,270 kg) ×2
  • 航続距離:1,050 km
  • 武装:N-37 37 mm機関砲×2

脚注

参考文献

関連項目

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