くらやみ坂 From Wikipedia, the free encyclopedia くらやみ坂(くらやみざか)は、神奈川県横浜市西区にある坂。戸部村と東海道保土ヶ谷宿との往来に使われた「保土ヶ谷道」の一部であり、伊勢町の光源寺を峠に、西前町の西区役所通りとの交差点まで西北西に下る。 坂の名前の由来は諸説あり、表記は平仮名になっている[1][2]。 「鞍止(くらや)み」 この坂からの入り江(袖ヶ浦)の景観が素晴らしくて源頼朝も馬(鞍)を止めて眺めた。 急坂であったため、人々は馬を止めながら登った。 ※東京電力の送電線の名称は「鞍止坂」となっている。 「暗闇」 木々に覆われ薄暗かった[3]。 歴史 鎌倉時代以前 坂下にある杉山神社は652年(白鳳3年)創建と伝えられ、この周辺の地はこの頃から活動していたと言える。 鎌倉時代 源頼朝は巻狩へ出た際、くらやみ坂で炊飯して使った杓子を土中へ突き刺して去ったところ、芽がふき出し、不思議に思った村人は神として坂に祀ったという[4]。この「おしゃもじさま」は、現在は杉山神社に祀られている。 横浜開港以降 1859年(安政6年)の横浜開港で横浜道が開削され、神奈川奉行所が設けられた戸部村は最短距離で東海道と繋がったが、古来交通の要所だったくらやみ坂上にも番所が設けられ(1871年廃止)[5][6]、閉港した下田の囚獄が坂の北側へ移設された[7]。→「横浜刑務所 § 沿革」も参照 併せて刑場も坂の南側に設けられた[3]が、1882年(明治15年)までには残忍な刑罰は廃止され[8]、刑場は取り除かれた[9]。 牢屋敷は1899年(明治32年)に久良岐郡根岸村へ移転し、坂上に建てられていた慰霊碑は平沼久成寺門前へ移され[7]、遺構は残っていない。 坂下にある願成寺には、この地で処刑された清水清次・間宮一や、鳶の小亀の墓がある。 最近では、島田荘司の小説『暗闇坂の人食いの木』の舞台にもなっている。 脚注と出典 [脚注の使い方] ↑ 「くらやみ坂」の名前の由来は? はまれぽ.com 2011年09月27日(2025年10月9日閲覧) ↑ 『ものがたり西区の今昔』西区観光協会、1973年7月2日 1 2 『横浜開港側面史』(横浜貿易新報社、1909年)NDLJP:992282/59 ↑ 『横浜の伝説と口碑(中区・磯子区)』おしゃもじさま(横浜郷土史研究会、1930年)NDLJP:1452541/18 ↑ 『横浜市史稿 政治編2』第4章横浜警備-海陸防備 第1節「陸上防衛と警察機関」(横浜市役所 1931年)NDLJP:3432625/239 ↑ 『横浜市史稿 地理編』第7章 史跡 第2節 関門番所跡「3 鞍止坂関門址」(横浜市役所 1932年)NDLJP:3432639/407 1 2 『横浜市史稿 地理編』第7章史跡 第1節 公営庁宇「8 戸部牢屋址」(横浜市役所 1932年)NDLJP:3432639/383 ↑ ウィキソースには、刑法 (明治13年太政官布告第36号)の原文があります。 ↑ 『横浜市史稿 地理編』第7章 史跡 第6節 雑「11 鞍止坂刑場址」(横浜市役所 1932年)NDLJP:3432639/483 関連項目 伊勢町 (横浜市) 戸部町 (横浜市) 西戸部町 願成寺 (横浜市) 杉山神社 (横浜市西区) 神奈川奉行 刑場 鎌倉事件(1864年) 外部リンク にしくまち歩きマップ オープンストリートマップにくらやみ坂の地図があります。 座標: 北緯35度27分08秒 東経139度37分11秒 / 北緯35.45222度 東経139.61972度 / 35.45222; 139.61972 この項目は、日本の地理に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の地理)。表示編集 Related Articles