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さくら呉服橋ビル

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旧名称 日本相互銀行本店
用途 銀行
設計者 前川國男建築事務所
さくら呉服橋ビル
さくら呉服橋ビルの位置(東京都区部内)
さくら呉服橋ビル
情報
旧名称 日本相互銀行本店
用途 銀行
設計者 前川國男建築事務所
構造設計者 横山建築構造設計事務所
設備設計者 寺岡恭次郎
施工 清水建設
建築主 日本無尽/日本相互銀行
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造(2階以下)
鉄骨構造 全溶接工法(3階以上)
敷地面積 782.08 m² [1]
※236.58坪
建築面積 703.50 m² [1]
※212.81坪
延床面積 7,231.27 m² [1]
※2187.46坪
状態 解体済
階数 地上9階、地下2階、塔屋3階
高さ 軒高31.0m、最高部39.98m
着工 1950年10月27日
竣工 1952年7月31日
解体 2008年
所在地 東京都中央区八重洲1丁目3番3号
(完成時は中央区日本橋呉服橋2丁目1番地の1)
座標 北緯35度40分59.5秒 東経139度46分16.5秒 / 北緯35.683194度 東経139.771250度 / 35.683194; 139.771250 (さくら呉服橋ビル)座標: 北緯35度40分59.5秒 東経139度46分16.5秒 / 北緯35.683194度 東経139.771250度 / 35.683194; 139.771250 (さくら呉服橋ビル)
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さくら呉服橋ビル(さくらごふくばしビル)は、かつて東京都中央区八重洲に所在した建築物である。1952年に日本相互銀行[注釈 1]の本店として竣工。建て替えのため2008年に解体された。日本初の全溶接による鉄骨構造や、カーテンウォール構造やアルミサッシなど当時の最新の工法が採り入れられた、戦後の前川國男の「テクニカル・アプローチ」[注釈 2]の代表的な建築物の一つであった[2]

日本相互銀行の前身の無尽会社である大日本無尽株式会社は1940年に設立され、水道橋に本店の社屋を構えていたが、戦災で焼失したのちは神田の中学校の校舎を借りて営業を続けていた。1948年に日本無尽株式会社に商号変更。呉服橋交差点角に本社社屋の建設用地を取得し、1950年5月に東京都建築局長宛てに臨時建築制限規則に基づく届け出を行った。1950年5月は建築基準法建築士法が公布され、建築の量的規制や建築資材の統制が緩和された時期でもあった[3]。設計は前川國男建築事務所、構造設計は前川の東京大学同級の横山不学が担当し[4]、1950年10月に設計が完了した[3]。前川は1950年代に日本相互銀行の本・支店の設計を担っており、中でも日本で初めて全溶接による鋼構造や、アルミサッシやプレキャストコンクリートなど工業的な手法が多用された本店は、前川の「テクニカル・アプローチ」[注釈 2]の代表的な建築と言える[5]

1950年10月27日に地鎮祭が行われ、着工。鉄骨溶接工事は1951年11月25日、コンクリート工事は1952年1月25日に完了し、1年9か月の工期を経て1952年7月31日に竣工した[3]。建築主の日本無尽は、建設中の1951年10月に日本相互銀行に社名を変更している[3]。施工にあたった清水建設は終戦直後の経営難からの業績回復期にあり、近隣の日本橋丸善本店、京橋のブリヂストン本社ビル、新丸ノ内ビルヂングなど近代建築を次々に受注していた。しかし、朝鮮特需の直前に受注した本建物は、収支面ではかなり苦しい工事であったと清水建設70年史に記されている[3]

1963年は、南側隣接地に別館の位置づけとなる八重洲龍名館が竣工した[注釈 3]

1998年頃から外装の劣化が顕著になり、応急処置や全面的な補修工事が実施された[7]。2000年代に入り全面的な建て替えが検討され、日本建築学会から保存の要望も行われたが、解体が決定。2007年8月に事前調査が行われ、9月より数回にわたり学識者の見学会が行われた。2008年2月より解体工事に着手し、同年11月に地下部分の撤去と埋め戻しが完了した[8]。新たな「三井住友銀行呉服橋ビル」は前川建築設計事務所がデザイン監修を手掛け、清水建設の設計・監理・施工により2012年に竣工した[9]

建築

脚注

参考文献

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