ぶどう園の労働者のたとえ

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ヤコブ・デ・ウェットオランダ語版(17世紀中頃)

ぶどう園の労働者のたとえ(ぶどうえんとのろうどうしゃのたとえ、: Parable of the Workers in the Vineyard)または寛大な雇い主のたとえは、新約聖書マタイによる福音書20章に収められているイエスのたとえ話である。このたとえ話に登場するぶどう園の主人は、複数の働き人に対して、彼らが何時から働き始めたかに関係なく、同じ賃金を支払う。解釈の難しいたとえ話として知られている。

 

「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
マタイによる福音書 20:1-16(新共同訳)

解釈

この譬え話は、神の寛大さが人間の正義を超えていることを示していると解釈できるかもしれない。ぶどう園の主人は神を、働き人は人間を示唆している。

あるいは、この譬え話は、人生の後半に改宗した者も、若い頃に改宗した者も、ユダヤ人改宗者も、異邦人改宗者も、同様に報われる、ということを意味していると解釈される[1]

別の解釈としては、全てのキリスト者が一番最後の時間に来て働き始めた労働者である、というものがある[2]。「神は、私たちの価値によってではなく、神の恵みによって私たちを救われる。そしてこのことは私たち全員に当てはまる[2]」。

また、マタイ伝19章30節「しかし、多く先の者は後になり、後の者は先になるであろう」との関連から、「神の国永遠の命を受け継ぐという点において、イエスの呼びかけに応じる全ての弟子たちが同じである」という解釈がなされる[3][4]

並行する寓話

脚注

関連項目

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