みなもと太郎

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本名 浦 源太郎
(うら げんたろう)
生誕 (1947-03-02) 1947年3月2日
日本の旗 日本京都府京都市上京区(現:北区
死没 (2021-08-07) 2021年8月7日(74歳没)
国籍 日本の旗 日本
みなもと 太郎
本名 浦 源太郎
(うら げんたろう)
生誕 (1947-03-02) 1947年3月2日
日本の旗 日本京都府京都市上京区(現:北区
死没 (2021-08-07) 2021年8月7日(74歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
活動期間 1967年 - 2021年
ジャンル ギャグ漫画歴史漫画
代表作ホモホモ7
風雲児たち
受賞
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みなもと 太郎(みなもと たろう、1947年昭和22年〉3月2日[1] - 2021年令和3年〉8月7日)は、日本漫画家京都府[1]京都市出身。本名は浦 源太郎(うら げんたろう)。ペンネームは本名の「源」を読み替えたもの。代表作は『ホモホモ7』『風雲児たち』。

京都市上京区(現在の北区域)に生まれる。常に走り回っていたような落ち着きがない子どもであったが、2歳の頃に漫画に触れて絵を描き始め[2][3]、中学の3年間では授業中ほとんど漫画を描いていた[2]

京都市立日吉ヶ丘高校美術課程に進学。漫画家になることを反対していた姉から大学への進学を強硬に勧められるも、美術大学は漫画家への理解を欠くこと、当時は漫画家デビューは20歳までと相場が決まっていたことを知り、漫画家への道を絶望視する。しかし高校1年時に姉が死去したため、「悲しいけれども、『マンガ家への道はこれで拓けるかもしれない』と思った」という[2]。在学中、京都の撮影所で映画の仕出しのアルバイトで時代劇や特撮テレビドラマ『アゴン[注 1]などに出演し、その縁もあって吉田義夫などの古参の俳優とも交流している。

高校卒業後[1]、呉服商の悉皆屋でデザイナーとして勤務するも、3か月で退職して東京へ転居。偶然知り合った平塚らいてうの孫の自宅に居候しながら、出版社との契約や写植など漫画家になるための方法を尋ねるため、各出版社や白土三平一峰大二貝塚ひろし水野英子石ノ森章太郎あすなひろしちばてつや藤子不二雄藤本弘安孫子素雄)、つのだじろう赤塚不二夫水木しげるなどの漫画家の自宅を1か月間訪問して回った。ただし、手塚治虫の自宅へは怖くて行けなかったという[2]1967年9月、『別冊りぼん秋の号』(集英社)に掲載された『兄貴かんぱい』でメジャーデビューを果たす[1]

1970年、『週刊少年マガジン』(講談社)で連載が始まった前衛的ギャグ漫画ホモホモ7』が高い人気を得る[5]1979年に『少年ワールド』(潮出版社、のちの『コミックトム』)で連載が始まった『風雲児たち』で歴史漫画家としての作風を確立し、以降は主に歴史ギャグ漫画を執筆するようになった。2001年からは『コミック乱』(リイド社)で『風雲児たち 幕末編』を連載しつつ、『風雲児たち』外伝として描き下ろしのコミックスも発表している。

デビュー当初から商業誌で活躍するかたわら、創作集団「作画グループ」のメンバーとしても作品を発表し続けた[6][7]

2004年第8回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。受賞内容は「歴史マンガの新境地開拓とマンガ文化への貢献に対して」のものであり、代表作『風雲児たち』の業績を評価されたがゆえの受賞である[8]2010年には『風雲児たち 幕末編』で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞し[9]2020年には『風雲児たち』で第49回日本漫画家協会賞コミック部門大賞を受賞した[10][11]

漫画文化をめぐる発言や評論、漫画の表現技法の分析にも積極的に取り組み[12][13]文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員や文化庁芸術選奨推薦委員・選考委員を務めたほか[14][15]手塚治虫文化賞選考委員を第19回(2015年)から第24回(2020年)まで務めた[16]公益社団法人日本漫画家協会では参与会員として多くの事業に協力している[17]

2021年8月7日2時17分、心不全のため、東京都内の病院で死去した[18][19][20]74歳没。前年から肺がんで闘病しており、『コミック乱』で連載されていた『風雲児たち 幕末編』の新作は休載が続いていた。

人物

絵柄は基本的には典型的なギャグ漫画家らしいディフォルメ、かつ単純化されたものであるが、劇画調や少女漫画調、アニメ絵調の作画もでき、それらを同一漫画内で描き分ける。特に女性の登場人物については少女漫画調に描くのが恒例で、「女性を描く際は男性よりも10倍時間をかける」と語っていた。また、男性キャラについては、外見が同一のキャラクターが複数作品に登場する「スターシステム」と呼ばれる手法を採用している。具体的には『レ・ミゼラブル』のマリウスと『風雲児たち』の吉田松陰、『ホモホモ7』の主人公と坂本龍馬などがその例である。

おたく文化は世界に通じる」との持論から、50歳を過ぎてコミックマーケットに参加。アニメ絵のきわどい女性イラストを雑誌に載せたり自費出版したりするなどし、同人文化にも大きな足跡を残した[12]

あすなひろしの作品に惚れ込み、あすな作品の再評価と普及に力を注いだ。ながやす巧のファンでもあり、ながやすの画業45周年を記念した作品集には解説を寄稿し、ながやすの執筆する『壬生義士伝』では新選組隊士として「源太郎」(みなもとの本名)という人物が登場するシーンを設けられた。

『人類み〜んな「十界論」』(第三文明社)で自身が創価学会員であることを明かし、同著を含む複数の著書で教義を解説する漫画を発表した。創価大学文学部のイントロダクトリー科目「表現文化論入門」でゲスト講師を務めたほか[21]、創価学会文芸部では名誉文芸部長として後進の指導に当たった[22]。夫婦でともに信仰を貫いた静香夫人によると、みなもとは『風雲児たち』について「『牧口常三郎戸田城聖の誕生』で完結させるんだ。そこから本当の日本の希望が生まれたんだ」「これは池田先生から学んだ歴史観なんだ」と語っていたという[22]。静香夫人は「みなもと作品の底には日蓮仏法の十界互具と、池田先生から教わった人間観が流れています」と述懐している[22]

日本の漫画史に造詣が深く[23]、映画の名ゼリフについての和田誠の作品『お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ』(文藝春秋)をもじった漫画評論「お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ」を『月刊マンガ少年』(朝日ソノラマ)に連載していた。連載はのちに立風書房河出書房新社などから単行本化・文庫化された。

宝島社が発行する雑誌に連載されてきた読者投稿コーナー『VOW』の常連投稿人としても知られ[24]、誌面で特集やインタビュー企画を組まれたこともあった。

歌手の加橋かつみ(元ザ・タイガース)とは幼馴染であり、俳優の遠藤憲一とは近所で親交があった[25][26]

母方の祖父に漆原松吉という人物がおり、明石元二郎の部下として様々な諜報活動に従事し、若かりし頃の甘粕正彦を部下に持ち、親交を持つなどしていたらしいが、詳しい資料は残っておらず、高齢であるみなもとの母にも取材が叶わなかったため、真偽は不明となっている。のちに、このことを題材とした漫画『松吉伝』を執筆している。

作品リスト

漫画

作画グループ合作

イラスト

評論

  • お楽しみはこれもなのじゃ(1976年9月号 - 1979年8月号、朝日ソノラマ月刊マンガ少年』)
    • 漫画の名セリフ お楽しみはこれもなのじゃ(1991年12月1日、立風書房ISBN 978-4651782034
    • お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ(1997年5月1日、河出書房新社河出文庫〉) ISBN 978-4309473253
    • お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ(2004年11月1日、角川書店ISBN 978-4048838986
    • お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ(2021年11月5日、河出書房新社河出文庫〉新装版) ISBN 978-4-309-41854-4
  • 仁義なき忠臣蔵(1999年、新人物往来社、2003年にイースト・プレスで新版された『冗談新選組』に収録)
  • まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史(2010年、角川学芸出版) - 大塚英志との共著
  • マンガの歴史1(2017年、岩崎書店〈岩崎調べる学習新書〉)

アニメ

出演番組

関連人物

脚注

外部リンク

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