よしの冊子
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田内親輔による抄本
内容は、個人の風聞・評判や人事が中心で、そのほか、定信邸内の事柄、都市や農村の情報、対外政策、思想まで多岐に渡る[1]。
賄賂が横行した田沼意次の時代が終わり、1787年に松平定信が30歳という若さで老中に抜擢されたが、経験の浅い定信は政府の内部事情に疎かったため、側近の水野為長が隠密を使って情報を集め、要旨をまとめて定信に渡していた[2]。その原本は、天明初年 - 寛政中期(18世紀後半)に書かれ、全部で169から200冊あったと言われるが、所在はわかっていない[3]。
1830年(文政13年)に田内親輔が定信の遺箱の中から為長筆の原本を発見し、藩友以外に見せないよう明記の上、後世に定信の施政を伝える資料として抄出した[3]。現存する写本はこの親輔の抄本を基にしており、桑名市立中央図書館、国立国会図書館、慶應義塾大学に所蔵されている[3]。
駒井乗邨『鶯宿雑記』に収載
松平定信の家臣、駒井乗邨が自らの号をもとに名付けた600巻に及ぶ叢書『鶯宿雑記』[4]には、大坂夏の陣に関する記録、常陸国のうつろ舟伝説などさまざまな風説・風聞・言説が収められているが、田内から託されて巻453から巻489に『よしの冊子』も収められた[4]。
国立国会図書館の『鶯宿雑記』ウェブ検索システムで『よしの冊子』も検索できる[5]。