アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ

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アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ
Amadou Toumani Touré

アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ

任期 2002年6月8日 2012年3月22日

マリ共和国の旗 マリ共和国
人民救済移行委員会委員長
任期 1991年3月26日 1992年6月8日

出生 (1948-11-04) 1948年11月4日
フランス領スーダン(現マリ共和国)、モプティ
死去 (2020-11-10) 2020年11月10日(72歳没)
トルコの旗 トルコイスタンブール
政党 無所属
配偶者 トゥーレ・ロッボ・トラオレ

アマドゥ・トゥマニ・トゥーレAmadou Toumani Touré, 1948年11月4日 - 2020年11月10日)は、西アフリカマリ共和国軍人政治家2002年6月8日から同国大統領を務めたが、2012年3月21日に発生したクーデターで反乱軍より権限を奪われた。国民からは『アテテ(フルネームの頭文字"ATT"のフランス語読み)』と呼ばれていた。

フランス領スーダン(現マリ)中部の都市モプティ出身。モプティで初等教育を受け、1966年から1969年の間はバマコ中等教育を履修した。卒業後は教師となるも、後にマリ軍に入隊し、軍学校に通った。マリ軍の空挺部隊員として着々と昇級を重ねたトゥーレは、ソ連フランスへの訓練留学の機会を与えられ、1984年には空挺部隊の司令官に就任した。

民主主義の戦士

マリでは1968年にクーデターで実権を握ったムーサ・トラオレによる長期独裁政権に対する不満が高まっており、1991年3月22日には遂に民衆蜂起が発生。それに乗じ、4日後に軍事クーデター英語版が起き、20年以上にわたってマリを支配したトラオレ政権は打倒された。このクーデターにはトゥーレも参加しており、民政移管までの暫定政権の元首(人民救済移行委員会委員長)への就任が認められた。トゥーレは1年後の民政移管を公約し、民主的な新憲法(現行憲法)制定に力を注いだ。翌1992年には大統領選と議会選を実施。大統領選で当選を決めたマリ民主同盟(ADEMA)のアルファ・ウマル・コナレへの権限委譲をスムーズに行った。こうした経緯から、当時のトゥーレは民主主義の戦士[1]と呼ばれた。

政治家への転向

大統領として

出典

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