アミック (護衛駆逐艦)
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| アミック | |
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海上自衛隊護衛艦「あさひ」のとしての頃の写真 | |
| 基本情報 | |
| 建造所 | フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック |
| 運用者 |
|
| 艦種 | 護衛駆逐艦 |
| 級名 | キャノン級護衛駆逐艦 |
| 艦歴 | |
| 進水 | 1943年1月7日 |
| 竣工 | 1943年5月27日 |
| 就役 | 1943年7月26日 |
| 退役 | 1947年5月16日 |
| その後 |
1955年6月14日日本へ貸与。1975年アメリカへ返却。 1976年フィリピンへ売却。 1989年退役 |
| 改名 |
アミック(建造時) あさひ(1955年) ダトゥ・シカトゥナ(1976年) |
| 要目 | |
| 基準排水量 | 1,240 英トン(1,260トン) |
| 満載排水量 | 1,620 英トン(1,646トン) |
| 全長 | 306 ft(93m) |
| 水線長 | 300 ft(91m) |
| 最大幅 | 36 ft 10in(11.23m) |
| 吃水 | 11ft 8in(3.56m) |
| 機関 | GM Mod.16-278Aディーゼルエンジン×4基 |
| 主機 | GM 8-268発電機×4基 |
| 出力 | 60,000 shp(4,470 kW) |
| 最大速力 | 21 ノット(39km/;24 mph) |
| 航続距離 | 10,800 海里(20,000 km) 12ノット時 |
| 乗員 | 士官15名・兵員201名 |
| 兵装 |
Mk.22 3インチ単装緩射砲×3基 40mm連装機関砲×1基 20mm単装機関砲×8基 533mm三連装魚雷発射管×1基 Mk.10 ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基(弾数114発) Mk.9爆雷投下軌条×2基 Mk.6爆雷投射機×8基 |
アミック (USS Amick, DE-168) は、 第二次世界大戦中にアメリカ海軍によって建造されたキャノン級護衛駆逐艦。 大西洋と太平洋の両戦線で活動し、船団護衛の任務に就いた。艦名はガダルカナル島の戦いにおいて戦死したユージーン・E・アミック少尉 (1919–1942) にちなむ。
大西洋の戦い
1942年11月30日にニュージャージー州ニューアークのフェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社で起工。1943年5月27日に竣工。 アミック少尉の未亡人であるメアリー・R・アミック夫人が立ち会った。1943年7月26日にニューヨーク海軍工廠においてフランシス・C・B・マキューン中尉の下で就役した。
「アミック」は9月初旬にバミューダでの完熟訓練のために東海岸を去った。 この巡航中、音響魚雷に対する防御装置の実験的な運用試験にも従事していた。
11月初旬、 第62任務群の所属になり、大西洋における輸送船団の護衛としての任務を開始した。 また、第15護衛部隊の旗艦としての役割も果たした。1943年11月から1945年5月まで、大西洋を横断する9回の往復航海を完了した。 船団の入港地はカサブランカ、ジブラルタル、ビゼルト、パレルモ、オランなど。 1944年8月1日、アルジェリアのベングト岬沖において輸送船団を護衛中にドイツ軍の空襲を受けたが損傷はなかった。
大西洋での18か月の作戦中に、 「アミック」はニューヨーク海軍工廠またはボストン海軍工廠のいずれかで整備を受けた。 その後、別の船団に加わる前にメイン州のカスコ湾またはニューヨーク州モントーク岬沖において訓練を行った。 1945年5月5日と6日にジュディス岬の戦いとして知られる小さな交戦に参加し、ドイツ海軍の潜水艦「U853」を沈めた。
太平洋
1945年5月28日、 「アミック」はマサチューセッツ州ボストンを出航し、第15護衛部隊の他の艦艇とともに太平洋へ向かった。 キューバのグアンタナモ湾で1週間の訓練を行ったのち、6月10日にパナマ運河を通過し、カリフォルニア州サンディエゴ経由で、29日にハワイ真珠湾に到着した。 2週間後にマリアナ諸島へ向けて出港し、日本の降伏前に一回だけ沖縄へ向かう輸送船団の護衛を務めた。
戦後
「アミック」は1945年8月23日、海軍及び海兵隊の幹部を乗艦させてパラオへ赴き 現地の日本軍と会見し、9月2日に「アミック」艦上においてパラオ諸島における日本軍の無条件降伏の調印式が行われ日本陸軍パラオ地区集団司令官(第14師団長)井上貞衛陸軍中将が米海兵隊ペリリュー島司令部への降伏文書に署名した。
11月3日、「アミック」はアメリカ本国に向かうためペリリュー島を出発した。 11月22日にカリフォルニア州サンディエゴに戻る前に、サイパン島と真珠湾に短期間停泊した。
「アミック」は12月1日に大西洋艦隊に配属され、その後まもなく東海岸に向かった。 1946年1月3日にフロリダ州ジャクソンビルに到着し、修理のために造船所に入った。 この作業が完了した後、第12護衛部隊に割り当てられ、フロリダ州グリーンコーブスプリングスに停泊し、非活性化作業を行った。 1947年5月16日に退役するまで、グリーンコーブスプリングスで半活動状態を維持し、他の艦船の乗組員が非活性化を行うための拠点として使用された。
海上自衛隊
8年間の予備役期間の後、1955年(昭和30年)6月14日、 相互防衛援助プログラムに基づいて、「アミック」は日本に貸与された、あさひ型護衛艦「あさひ(DE-262)」として海上自衛隊に所属し、1975年(昭和50年)初頭に米海軍に返却された。
1975年1月6日にフリゲートに再分類され、艦番号もFF-168に変更された。
1975年6月15日にアメリカ海軍から除籍された。
フィリピン海軍
「アミック」は1976年9月にフィリピンに売却され、「ダトゥ・シカトゥナ(RPS Datu Sikatuna, PS-77)」に改名された。
1980年7月、艦番号がPF-5に変更された。1989年に退役して廃棄されるまで、フィリピン海軍で運用された。