アルカング
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| アルカング | |
|---|---|
| 行政 | |
| 国 |
|
| 地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
| 県 (département) | ピレネー=アトランティック県 |
| 郡 (arrondissement) | バイヨンヌ郡 |
| 小郡 (canton) | Ustaritz-Vallées de Nive et Nivelle |
| INSEEコード | 64038 |
| 郵便番号 | 64200 |
| 市長(任期) |
Philippe Echeverria[1] (2020年-2026年) |
| 自治体間連合 (fr) | Communauté d'agglomération du Pays Basque |
| 人口動態 | |
| 人口 |
3,588人 (2022年) |
| 人口密度 | 205.4人/km2 |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯43度26分15秒 西経1度31分11秒 / 北緯43.4375度 西経1.51972222222度座標: 北緯43度26分15秒 西経1度31分11秒 / 北緯43.4375度 西経1.51972222222度 |
| 標高 |
平均:60 m 最低:4 m 最高:140 m |
| 面積 | 17.47km2 (1 747ha) |
アルカング (フランス語: Arcangues、バスク語: Arrangoitze) は、フランス・ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県に属するコミューンである。
歴史
アルカングの領主については12世紀から記録が存在し[2]、サンチェ・ダルカング[3]とアネル・デ・アルカンゴスが1150年から1170年の間の不動産取引の記録に登場する。
ガスコーニュ地方の記録[4]にはペストの流行拡大が記されており、1517年2月8日にはアルカングでもペストが報告されている。
国王検察官の職は17世紀からアルカング家に属していた。「アルカング、クルチェタ、エリサガレイの領主であり保護者」でもあったローランは、1614年から1643年までラブールの検察官を務め[5]、その息子ジャン・ダルカングは、1643年7月4日にルイ13世から特許状を得て国王検察官の職を継承した。ピエール・ダルカングは1670年から1692年まで、ガスパール・ダルカングは1714年4月15日から1749年まで同職にあった。
- イランダ侯爵
ミシェル・ダルカングは「アルカングおよびクルチェタの領主であり保護者」で、ラブールで兵隊長を務めた。そのスペインのイランダ侯爵[6]の称号は息子ニコラ・フランソワ・ザビエ・ダルカングに継承された。1781年4月にルイ16世の特許状によってフランスにおける爵位の権利が認められた。
第4代イランダ侯爵ミシェル・ルイ・ダルカングはアルカング市長を40年間務め、長男のアレクシ・ダルカングが後継となった後、第6代イランダ侯爵ミゲル・マリーが後を継いだ。1886年4月12日にパリで生まれ1973年5月22日にアルカングで亡くなった第7代アルカング侯爵ピエール・ダルカングは作家で、彼を父とするのが『九月の太鼓』(Les Tambours de Septembre)で知られる作家の第8代イランダ侯爵ギー・ダルカングである。
アルカング侯爵の居城であった城は、半島戦争中の1813年12月に起こったニーヴ川の戦いでウェリントン公爵の司令部として使用さた。第95歩兵連隊の将校であったキンケイドが回想録”Adventures in the Rifle Brigade”の中で詳細に言及している[7]。
ナチス・ドイツによるフランス占領中、アルカングの城が軍の司令部として使用された。
人口統計
住民のことをフランス語ではArcanguaisまたはArcanguaises[8][9]と呼び、バスク語ではArrangoiztarと呼ぶ[10]。
| 人口推移 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| Source: EHESS[11] and INSEE[12] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
経済
オッソー・イラティに対してアペラシオン・ドリジーヌ・コントロレが存在する地域である。
電気通信工事会社のETPMの本拠地が存在する。
施設としては、バスク・ペロタなどを行うスポーツクラブや、小学校、開業医や薬局などが存在する。
文化
バスク地方の家の扉は、無垢材の板で作られ、他の木製部分と同じ「バスクレッド」と呼ばれる濃い赤色に塗られているが、19世紀以降、他の色も見られるようになった。アルカングでは、ピエール・ダルカング侯爵が明るい青色を導入したことが「アルカングブルー」という名前で残っている。
言語
アルカングのバスク語は1863年にルイ=リュシアン・ボナパルトが著したMap of the Seven Basque Provincesによれば北部高地ナバラ語に分類されているが、近年のコルド・スアソの研究によればナファロア=ラプルディ方言である[13]。
バスク地方では口承文化の存在から教育や識字の重要性が小さかったものの、20世紀における生活様式の劇的な変化の結果、一般大衆の中でフランス語の読み書きが有益なものとして受け入れられた。1960年代後半からは統一バスク語が教えられ[14]、公式な場で用いられることになったため、将来的にはナファロア=ラプルディ方言が消滅する可能性も指摘されている[15]。
建造物
- アルカング城は歴史的建造物に指定されている[16]。12世紀に城主の居城として最初の城が立てられ[17]、1900年に再建された。小高い丘の上に立ち、ガラス屋根が建物内部を照らす構造となっている。アルカング城はボスケ城と共に第二次世界大戦中にドイツによって占領された。
- 1905年に再建されたボスケ城が存在する。
- 1929年にジャン・パトゥのために作られたヴィラ・ベリオは歴史的建造物に指定されている[18]。
- 1968年に建てられた劇場が存在する。
- ベレー帽をかぶった男の頭が描かれ口から水を噴き出している噴水が広場に存在する。
- 歌手のルイス・マリアーノが所有したマリオナコ・ボルダ・ハウスが存在する。
宗教施設
- 12世紀から存在するアルカング教会には、1516年に作られ歴史的建造物に指定されている鐘楼が存在する[19]。碑文には、ウハビアのサン・ジャン・バティスト教会がオージェ・ダルカングによって設立されたことが記されている。
- 墓地にはピエール・ダルカング侯爵が収集した16世紀以降のヒラリ (墓碑)のコレクションが存在する。
その他、エロッタ・ハンディア自然公園が存在する。