アルスラン (アスト部)
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『元史』阿児思蘭伝の記述によるとアルスランは元々自らの城・領地を有するアス人領主の一人であったようで、モンゴル軍に滅ぼされたメゲスを中心とするアス人勢力とはまた別の集団を率いていた[1]。モンゴル帝国第2代皇帝オゴデイの治世にヨーロッパ遠征が始まると、トゥルイ家のモンケ率いる部隊はカフカース方面に進出し、アス人もモンゴル軍の攻撃に晒された。
自らの居城を包囲されたアルスランは長子のアサンジンを連れてモンケに投降し、モンケはアルスランの降伏を受け容れた。モンケはアルスランの有する軍隊の半数を現地の守りに残し、半数をモンゴル軍に加わるよう命じ、アルスランの息子アサンジンがアス人部隊を率いて従軍することになった。しかし、アサンジンはチェルゲ率いる軍勢との戦いで戦死してしまったため、モンケはアサンジンの遺骸をアルスランの下に返還し、彼を埋葬させた。そこでアルスランは「臣の長子アサンジンは亡くなり、モンゴル帝国のため力を尽くすことができなくなりました。今、次男のネグレイを献じますので、願わくばネグレイを臣下として用いてください」と述べ、これを受けてモンケはネグレイを配下に迎え入れた。
ネグレイはモンケが東方のモンゴリアに帰還するとこれに従って東方に移住し、これ以後ネグレイの子孫は代々東アジアに居住してモンゴル帝国-大元ウルスに仕えるようになった。 [2]