アルベルト・マルコフ
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| アルベルト・マルコフ Альберт Марков | |
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| 基本情報 | |
| 生誕 |
1933年5月8日 |
| ジャンル | クラシック音楽 |
| 職業 | ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者、教育者 |
| 公式サイト |
albertmarkov |
アルベルト・アレクサンドロヴィッチ・マルコフ(ロシア語: Альберт Александрович Марков ラテン文字転写の例:Albert Aleksandrovitch Markov)は、ウクライナに生まれたアメリカのヴァイオリニスト、作曲家、指揮者、教育者。ソビエト連邦の時代には優れたソビエトの音楽家として知られており、1975年にアメリカ合衆国に移ってからヴァイオリニストとしてのキャリアをスタートさせた[1]。
マルコフは1933年にウクライナのハルキウに生まれた。ピョートル・ストリャルスキ、ユーリ・ヤンケレヴィチ、アドルフ・レチンスキ(フレッシュ・カーロイの門弟)にヴァイオリンを、アラム・ハチャトゥリアンに作曲を学んだ[2]。
1975年にアメリカ合衆国へ移住[3]、1976年にヒューストン交響楽団との共演でアメリカデビューを飾り、評論家からの称賛を得た[4]。『ニューヨーク・タイムズ』紙は次のように書いている。「聴衆は賛意の雄たけびを上げ、立ち上がって3度のスタンディングオベーションとなった。マルコフ氏は眩く華々しい技術で彼らを感激させたのであった[4]。」これ以降、彼はカーネギー・ホール、リンカーン・センター、ジョン・F・ケネディ・センターに加え、シカゴ、ロサンゼルス、フィラデルフィア、ヒューストン、トロント、モントリオール、そして北米、南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカのコンサートホールでオーケストラとの共演、もしくはソロ・リサイタルで舞台に上がってきている。共演した指揮者はアンドルー・デイヴィス、ジェームズ・コンロン、ネーメ・ヤルヴィ、デイヴィッド・ジンマン、アンドルー・リットン、呂紹嘉、ルーカス・フォス、シクステン・エールリンク、秋山和慶、セルジュ・コミッショーナ、チャールズ・グローヴズ、ナタン・ラフリン、ユーリ・アーロノヴィチら他である。マルコフは独奏者としてハチャトゥリアンと共に演奏旅行を行い、彼が自ら指揮するヴァイオリン協奏曲を演奏した。
マルコフが録音した協奏曲にはショスタコーヴィチ、シマノフスキ、パガニーニ、モーツァルト、ヴィエニャフスキ、ウルヴィ・ジェマル・エルキン、ビジナ・クヴェルナーゼ、そして彼自身の作品がある[4]。実演や録音にて共演したピアニストにはダヴィッド・アシュケナージ、ベラ・ダヴィドヴィチ、オクサナ・ヤブロンスカヤ、アンドレイ・ムイトニク、ロバート・レヴィン、ミルトン・ケイ、ドミトリー・コーガンがいる。マルコフは息子のアレクサンドル・マルコフと共に[1][4]、定期的にヴァイオリン・デュオでの演奏を行っている。マルコフの録音は自作自演も含めてメロディア、Musical Heritage Society、Sunrise、RMSなどから入手できる[4]。
マルコフは多数の楽曲を書いており、ヴァイオリン協奏曲『中国風』や『フォルモサ組曲』はロシア・ナショナル管弦楽団によって録音されている。他の作品には3つのオペラ(『クイーン・エスター』他)[3]、交響曲、6つのヴァイオリン狂詩曲、3曲のヴァイオリンソナタ、声楽曲などがある。また著作には『J.S.バッハの6つのソナタとパルティータの演奏分析』がある。
1983年から20年にわたりマルコフはロンド室内管弦楽団の音楽監督を務め、独奏者、指揮者として共演した。彼はロンド音楽協会の創設者であり、1995年から2007年までカナダのノバスコシア州とアメリカのバーモント州、ベニントンで開催された音楽祭の芸術監督であった。教員としてはモスクワのグネーシン音楽大学で恩師のヤンケレヴィチの後任として、またニューヨークのマネス音楽大学、1981年からはマンハッタン音楽学校でも教壇に立っている[2]。教則本も著しており『ヴァイオリンの技巧』、『リトル・ヴァイオリニスト』、『ヴァイオリン奏法の体系』を出版している(G.Schirmer)。
ハチャトゥリアンは次のように書いた。「アルベルト・マルコフの活動にはいくつもの面があった(中略)活動のあらゆる場面において、彼は驚くべき才能を示す。ヴァイオリニストとしては今日最高のひとりだ。教師としては優れたヴァイオリニストを育てている。作曲家としてはその作品の独自性が目立っている。要するに、アルベルト・マルコフは傑出した音楽家なのである[5]。」
私生活
息子のアレクサンドル・マルコフはジェノヴァで開催された1982年のパガニーニ国際コンクールで入賞している。妻のマリーナ・マルコフもヴァイオリニストであり、ニューヨーク・シティ・オペラやボリショイ・バレエ管弦楽団との共演経験がある[6][7]。