アル・リーチ
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 |
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| 生年月日 | 1840年5月25日 |
| 没年月日 | 1928年1月14日(87歳没) |
| 身長 体重 |
5' 6" =約167.6 cm 155 lb =約70.3 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手、二塁手 |
| 初出場 | 1871年5月20日 |
| 最終出場 | 1875年5月21日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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アル・リーチ(Alfred James Reach、1840年5月25日 - 1928年1月14日)は、イギリス・ロンドン出身のプロ野球選手(外野手、二塁手)、実業家、球団オーナー。。左投げ左打ち。現フィラデルフィア・フィリーズの創設者及び初代オーナーである。
父親はクリケットの選手で、アメリカに移住後鉄工所で働きながら、余暇に野球をしていたという。リーチは徐々に二塁手としての才能を示すようになり、1865年にはフィラデルフィアのアスレチック・クラブが25ドルの報酬の見返りにクラブに加入させ、リーチはまだプロ野球リーグのない頃から早々と『プロの野球選手』となった。
アスレチック・クラブは1871年にナショナル・アソシエーションに加盟し、1年目にリーグ優勝を飾る。リーチは1875年まで野球選手として試合に出場しながら、野球に関係する事業を興し始めていた。野球の試合の合間をぬって煙草店を開いていたそうで、1874年にはスポーツ用品の製造会社を設立し事業を拡大した。この会社は1889年にアルバート・スポルディングに売却され、後にアメリカンリーグ創設後リーグの公式球を製造、また1909年にはコルク芯を使った野球ボールの製造特許を取得するなどしている。
事業に成功したリーチは、1883年に弁護士のジョン・ロジャースと共に、前年破綻したナショナルリーグのウースター・ルビーレッグスのフランチャイズ権を購入、以前所属していたアスレチックスの除名以来、プロ野球チームの本拠地がなかったフィラデルフィアに『クエーカーズ』を創設する。翌1884年には当時名監督となっていたハリー・ライトを監督に招き、自身も新しい球場を2つ建設するなどし、チームはナショナルリーグの強豪チームの1つへと成長した。