ロブ・トムソン
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フィリーズでの監督時代 (2024年) | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | オンタリオ州サーニア |
| 生年月日 | 1963年8月16日(62歳) |
| 身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手、三塁手 |
| プロ入り | 1985年 MLBドラフト32巡目 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| 選出年 | 2019年 |
この表について
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ロバート・ルイス・トムソン(Robert Lewis Thomson, 1963年8月16日 - )は、カナダのオンタリオ州サーニア出身の元プロ野球選手、野球指導者。
選手としては目立った実績を残せなかったものの、引退後にニューヨーク・ヤンキース等で長年に渡りコーチを務めたことが評価され、2019年にカナダ野球殿堂に選出されている(コーチとしての業績のみでの野球殿堂入りは極めて異例)。その後、2022年シーズン途中よりフィラデルフィア・フィリーズの監督を務め、1年目にしてナショナル・リーグ制覇とワールドシリーズ進出を経験。
現役時代
1985年のMLBドラフト32巡目(全体795位)でデトロイト・タイガースから指名を受け、プロ入り。4年間ルーキー級とA級でプレー。
1987年には投手も経験した。
1988年に引退し、シーズン途中からタイガース傘下のマイナーチームでコーチに就任した。
ヤンキースコーチ時代
1990年にニューヨーク・ヤンキース傘下のA級フォートローダーデール・ヤンキースの三塁コーチに就任した。
1998年、フィールド・コーディネーターに異動した。
2000年、ヤンキースの選手育成ディレクターに就任した。
2003年、マイナーリーグのヴァイスプレジデントに就任した。同年11月にマイナーリーグのコーチに就任した。
2006年9月27日、ヤンキースの一塁コーチだったトニー・ペーニャが父の死去に伴って休養をとったため、メジャーリーグのチームに初帯同。4試合一塁コーチを務め、10月1日にペーニャは復帰した。
2007年オフにヤンキース監督がジョー・トーリからジョー・ジラルディに交代したのに伴い、11月20日にヤンキースのベンチコーチに就任した[1]。

(2011年8月10日)
2008年シーズンの開幕4試合目(4月4日)のタンパベイ・レイズ戦でジラルディが上部呼吸道感染症のため試合を欠場し、代行として指揮を執った[2]。試合は4対13で敗れた[3]。翌日の4月5日も代行監督を務め[4]、3対6で敗れた。同年オフの11月13日にペーニャがベンチコーチに就任したことに伴い、ヤンキースの三塁コーチへ異動し[5]、2014年まで6シーズンに渡り務めた。この間、2009年にはワールドシリーズ優勝を経験した。
2015年1月12日にペーニャが一塁コーチに復帰するのに伴い、再びヤンキースのベンチコーチへ異動し[6]、3シーズン務めた。
フィリーズコーチ・監督時代
2018年シーズンからはフィラデルフィア・フィリーズに移り、新監督に就任したゲーブ・キャプラーの下でベンチコーチを務めた[7]。
2019年10月にキャプラーは解任されたが、後任監督に旧知の間柄であるジラルディが就任したため、2020年シーズン以降も引き続きベンチコーチを務めた。
2022年6月3日より監督を解任されたジラルディに代わって代行監督を務めた[8]。就任後の成績を65勝46敗としてチームを11年ぶりのポストシーズン進出に導き、地区シリーズ進出を決めた後の10月10日に、2024年シーズンまでの2年契約で正式に監督に就任した[9]。ワールドシリーズ進出を果たしたが、ヒューストン・アストロズに2勝4敗で敗れた。
2023年はリーグチャンピオンシップシリーズで敗れるも、シーズン終了後に1年間の契約延長が発表された[10]。
2024年はチームを13年ぶりの地区優勝に導き、オフに1年間の契約延長に合意した[11]。2025年も地区優勝を果たした。
2026年4月28日にフィリーズ監督を解任された[12]。