アーサー・ホーランド

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別名 岡田 正之
出生 (1951-09-27) 1951年9月27日(74歳)
居住地 日本の旗 日本 東京都
アーサー・ホーランド
Arthur Masayuki Hollands
個人情報
別名 岡田 正之
出生 (1951-09-27) 1951年9月27日(74歳)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
居住地 日本の旗 日本 東京都
配偶者 Carolyn Aiko Hollands
職業 宣教師
出身校 サンタアナ・ジュニア・カレッジ(中退)
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アーサー・ホーランド(Arthur Masayuki Hollands, 1951年9月27日[1] - )は、大阪府西成区出身の牧師日本キャンパス・クルセード・フォー・クライスト(JCCC)[2]の元スタッフ。 1989年、新宿アルタ前での路傍伝道を開始したことを契機に、アーサー・ホーランド・ミニストリーを設立した。その後1990年、47都道府県を回り路傍伝道。1992年、七人の若者を引き連れて日本縦断。元ヤクザのクリスチャン集団「ミッション・バラバ」や、バイカー集団「The Lord’s Angeles」の創設者。 お茶の水クリスチャンセンター[3]主催の定期集会「フライデーナイト」[4]では現在もメッセンジャーとして活躍中。 “You Are Loved"をキーワードに、神の広く深い愛を伝えることをモットーにしている。宗教の枠に縛られた形式的な信仰ではなく、大いなる存在、本質的なものを見据えた生き方を伝えようと伝道している。 娘は作詞作曲家の堀井ローレン。

生い立ち

1951年(昭和26年)大阪府大阪市西成区に米国籍のアメリカ海兵隊員の父と大衆食堂の娘である母の間に長男として生まれる[5]

東京で米軍関係の職を得て両親は東京に移るが、祖母の希望でホーランドは大阪に残り、幼少期を食堂を経営する祖父母の元で過ごす。小学校は、大阪市城西区にある城星学園というカトリック系のミッションスクールで学ぶが、祖父母は創価学会の信者であった。

1963年(昭和38年)小学校卒業後、父親が当時・東京赤坂にあった山王ホテル(現・ニュー山王ホテル)の副総支配人になり、ホーランドの教育も鑑みて東京に連れて一緒に住む。当時・東京港区にあったフランス・カナダ系ミッションスクールのセント・メリーズ・インターナショナル・スクールに通う。

1966年(昭和41年)父親の勧めで、15歳の頃から講道館に通い柔道を学ぶことになる。 中学時代からバスケットレスリング、陸上競技に親しむ。 高校生の時に、学校で暴力事件を起こしたためレスリング部を退部させられる。その頃、講道館で東京オリンピックにアメリカ代表として出場したポール・マルヤマ[6]に出会い、日米親善試合のアメリカ代表として柔道の試合に出場することになる。この頃、東京オリンピックの柔道金メダリスト岡野功に出会い、彼の誘いを受け、岡野の主宰する正気塾の寮に入寮する。高校を卒業した後も岡野に師事し続ける[7]。学校で暴力事件を起こしたが、教師や同級生の父親の計らいで退学処分は免れた。


米国時代

1972年(昭和47年)、20歳で渡米し、カリフォルニア州サンタアナにあるサンタアナ・ジュニア・カレッジ(英語版)で学ぶ。学校では、FBI捜査官を夢見るものの、柔道と喧嘩に明け暮れ1年で中退する。

大学で旧ソ連の国技で、柔道とレスリングを混合した種目のサンボレスリングを始める。 全米柔道選手権では3位、全米サンボ選手権では優勝などの成績を残す。詳しくはこちらを参照。

柔道やレスリングで競技生活を送る中で、勝敗への重圧と挫折から競技中心の生活に虚しさを感じるようになる。 その頃、カリフォルニアの海岸で「神がいるなら証明してほしい」と祈る。 1974年(昭和49年)9月、アメリカに滞在していた岡野功から誘われ、岡野の岳父が牧師をしている教会の礼拝に参加する。岡野の岳父に導かれその日に海で洗礼を受け、クリスチャンになる。岡野も喜び、柔道着をプレゼントしている。その時23歳であった[8]。その直後、勤め先のトレーニングジムでスポーツ伝道をしていたレスリングのコーチの通う教会に誘われ通い始める。そのコーチから超教派団体キャンパス・クルセード・フォー・クライスト (CCC) (現在はCru)の働きを知り、スポーツ伝道部門・Athelets in Action(アスリート イン アクション)に所属し、スポーツを通しての布教活動に関わるようになる[9]

1977年(昭和52年)にはパンアメリカン選手権大会でアメリカ代表として出場し、銀メダルを受賞、団体では金メダルを受賞。世界選手権への出場権を獲得する。しかし、1978年(昭和53年)サンボの試合中に首の骨を負傷し、スポーツの一線から退く[10]。そのためキャンパス・クルセード・フォー・クライスト (CCC) のスポーツ伝道部門・Athelets in Actionから大学生部門・Cumpus Ministry(キャンパス ミリストリー)へ移る。

これをきっかけに、同じく学生として関わっていたキャロリン[11]と出会い、結婚に至る。彼女と結婚したことが日本に宣教師として戻ることにつながる[12]

宣教師初期時代

1982年(昭和57年)9月、CCCの宣教師として、妻と一緒に帰国する。最初の2年間(1982〜1984年3月)は名古屋で大学生に対して伝道また弟子訓練をする。

1984年(昭和59年)3月から働きの拠点を東京に移す。

1988年ソウルオリンピック選手村の公認チャプレンを務める。

1989年(平成元年)JR新宿駅東口で、路傍伝道を始める。伝道の際に赤や白などの目立つ色のスーツを着て、信号待ちをしている人々に、数十秒の短いメッセージをする型破りな伝道方法が話題となる。

1990年(平成2年)、洗礼を受けたサンディエゴの教会で牧師としての按手礼(承認)を受け、正式な牧師になる。1991年(平成3年)、全国47都道府県、68カ所にて路傍伝道を行い、最後は富士山山頂での伝道を行う。

1992年(平成4年)、男性7人を集めて日本列島を沖縄から北海道の宗谷岬まで3700kmを十字架を背負って徒歩での全国縦断伝道(『日本リバイバル十字架行進』)を行う。この十字架更新の最中に数名の元ヤクザのクリスチャンたちが参加する。そこから「元ヤクザ・フェローシップ」が結成され、元ヤクザのクリスチャン集団「ミッション・バラバ」へと発展していく。[13]

1993年(平成5年)夏にはミッションバラバを率いて、韓国を訪問する。釜山から板門店まで、前年と同様に十字架行進と教会の訪問を行う。

1994年(平成6年)にはホーランドが引率して北米の伝道旅行に行く。最初に、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルカナダバンクーバー。11月18日にはサンタバーバラ、ついで11月26日にはロサンゼルスリトル東京の教会などで講演を行う。ホーランド達の活動はアメリカ合衆国の日系アメリカ人の新聞で報道される[14][15]

1995年(平成7年)夏には、ミッションバラバのメンバーと共に、阪神・淡路大震災の被災地を見舞う。

日本列島十字架行進

2012年(平成24年)、20年ぶりに再び徒歩による『日本列島十字架行進』を行う。この時に同行した岩下八司は、その後の長距離十字架行進の全てに参加した。ホーランドは彼の名前が覚えられず、岩下がバングラデシュに学校を設立するNPO法人に長年関わっていたことから、「バングラ」とあだ名をつけて呼ぶようになる。(岩下八司、2026年1月1日逝去)

同年3月11日沖縄県平和祈念公園をスタートする。重さ40kgの十字架を担ぎ歩き続け、同年9月18日に目的地である北海道宗谷岬に到達する[16][17]

2013年(平成25年)、前年の『日本列島十字架行進』で訪れることのできなかった四国一周十字架行進を4月7日より実施する。同年5月10日四国一周を達成する[18][19]

2016年6月、小豆島一周の十字架行進を行う。 2019年(令和元年)3月〜、3回目となる日本縦断(沖縄〜北海道・太平洋側)を決行。

2021年(令和3年)3月、四国一周十字架行進を行い、7月には九州地方で十字架行進を行う。

2022年3月〜、4回目となる日本列島縦断(沖縄〜北海道・日本海側)を行う。

2023年4月、四国一周十字架行進を行う。7月には三重県十字架行進を行い、10月には淡路島、紀伊半島十字架行進を行う。

2024年4月〜、5回目となる日本列島縦断(沖縄〜北海道・日本海側)の十字架行進を行う。

2025年3月、淡路島にて十字架行進を再び行う。


アメリカでの十字架行進

2014年(平成27年)、3月5日ハワイオアフ島にてWALK ACROSS OAHU(オアフ島一周十字架行進)を出発、3月12日オアフ島一周を達成する。

達成後すぐにアメリカ本土に渡り、3月17日カリフォルニア州サンタモニカからWALK ACROSS USA(アメリカ横断十字架行進)をスタートする。ゴールのニューヨーク州ロングビーチに向かい歩き始める。

同年8月21日イリノイ州スプリングフィールドに到達。2014年の行進を終了し帰国する。

2015年(平成27年)、4月、5日間に渡る富士山一周十字架行進を行った後渡米する。4月17日よりWALK ACROSS USAを再開する。

同年6月13日、ゴールであるニューヨーク州ロングビーチに到達。アメリカ横断約4,800kmの行進を終了する[20][21][22]

その他海外での十字架行進

2016年7月、台湾での1回目となる十字架行進を行う。

2017年6月、韓国で2回目となる十字架行進を行う。

2018年6月、キューバにて十字架行進を行う。

2025年5月、台湾にて2回目の十字架行進を行う。


競技歴

1975年 全米柔道選手権・軽中量級154ポンド(70キロ) 3位

1975年 全米サンボ選手権163ポンド(73.9キロ) 優勝

1976年 全米サンボ選手権163ポンド(73.9キロ) 優勝

1976年 全米サンボ選手権 MVP・最優秀賞

1977年 サンボ パン・アメリカン大会 アメリカ代表 個人163ポンド(73.9キロ)銀賞/団体 優勝

[23]

著作

ドキュメンタリー出演

  • 「不良牧師 求道の旅」(2007年、監督:亀田幸則
  • 「WALK ACROSS JAPAN」(2014年、制作:株式会社リアルサウンド)

映画出演

対談

  • 『日本のリバイバルを求めて』奥山実 マルコーシュ・パブリケーション社
  • 「「真理に生きるレジェンド達」小坂忠 × アーサーホーランド 特別対談」(2020年)

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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