アーマド・エルリッチ
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Ahmad Elrich | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1981年5月30日(43歳) | |||||
| 出身地 | シドニー | |||||
| 身長 | 183cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | 引退 | |||||
| ポジション | FW (WG) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1999 1999-2004 2004 2005-2007 2006 2007-2008 2008-2010 |
→ |
9 (0) 119 (19) 10 (1) 6 (0) 6 (1) 13 (1) 15 (1) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 2001 2004 2004-2006 |
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17 (2) 9 (6) 17 (5) | ||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2012年12月25日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
アーマド・エルリッチ(Ahmad Elrich, 1981年5月30日- )は、オーストラリア・シドニー出身の元同国代表の元サッカー選手。
フラム
家のすぐ西にある、地元のパラマッタ・イーグルス(現パラマッタFC)でキャリア始め、当時は建設現場で大工として働きながらプレーをしていた[2]。
イーグルスでの最初のシーズン終了後に自身のルーツであるレバノンへ渡たった際にベイルートのネジュメSCからオファーがあったが、それを断りオーストラリアに戻り、NSLのパラマッタ・パワーと契約を交わした[2]。加入後すぐにWGとしてレギュラーの座を掴むと、リーグでも有数のアシスト選手の1人として活躍し、2003-04シーズンの決勝で22アシスト目を記録。チームは優勝を逃したものの、その活躍からジョー・マーストン・メダルを受賞した。クラブと良好な関係が続くと思われたが、チームは財政難により解散、さらにNSLが終息することもあり国外でプレーする機会を探すこととなり、韓国の釜山アイパークと契約。しかし、契約上のいざこざから5ヶ月間プレー出来ない状態が続いたため、イングランドへプレーする場を移すことになった[3][4]。この際、フラムFCの打診に釜山が応じなかったためにチームを無断離脱、さらにFIFAへの提訴も辞さない姿勢をとった[5]。
2005年夏、フラムと3年契約を締結。2006年4月から5月までの期間、FCリン・オスロへ貸し出された[4]。
フラムでは、リヴァプールFC戦でリーグデビューをしたが、膝の怪我もあり[6]トップチームでの出場機会は少なく、2007-08シーズンになると背番号を与えられず、2007年9月4日に退団した[7]。
オーストラリア復帰

2007年9月21日、Aリーグに参戦するニュージーランドのウェリントン・フェニックスFCにマーキープレーヤー(サラリーキャップ制限を受けない選手)として加入[8]。10月21日、最初のホームゲームとなるセントラルコースト・マリナーズ戦で初ゴールを記録し、エルリッチは自身のキャリアの中でベストゴールと語った。2007-08シーズンが終わると、古巣のパラマッタ・パワーから関心を寄せられたが、セントラルコースト・マリナーズに移籍。しかし、出場は限られたものとなり、2009-10シーズン終了に伴い放出された[9]。
代表
U-23時代にアテネオリンピックに出場。2006 FIFAワールドカップは、フラムで出場機会が少なかったために落選した。2006年9月6日、AFCアジアカップ2007 (予選)のクウェート戦でキャリアに影響するほどの深刻な膝の怪我を負った。
プライベート
エピソード
所属クラブ
パラマッタ・イーグルス 1999
パラマッタ・パワー 1999-2004
釜山アイパーク 2004
フラムFC 2005-2007
- →
FCリン・オスロ (loan) 2006
ウェリントン・フェニックスFC 2007-2008
セントラルコースト・マリナーズFC 2008-2010