アーロン・カリー
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| Aaron Curry | |||||||||||||||||||
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| ピッツバーグ・スティーラーズ ラインバッカーコーチ | |||||||||||||||||||
| ポジション | ラインバッカー | ||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1986年4月6日(38歳) | ||||||||||||||||||
| 出身地 |
ノースカロライナ州ファイエットビル | ||||||||||||||||||
| 身長: | 6' 2" =約188cm | ||||||||||||||||||
| 体重: | 255 lb =約115.7kg | ||||||||||||||||||
| 経歴 | |||||||||||||||||||
| 大学 | ウェイクフォレスト大学 | ||||||||||||||||||
| NFLドラフト | 2009年 / 1巡目全体4位 | ||||||||||||||||||
| 初出場年 | 2009年 | ||||||||||||||||||
| 初出場チーム | シアトル・シーホークス | ||||||||||||||||||
| 所属歴 | |||||||||||||||||||
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| 受賞歴・記録 | |||||||||||||||||||
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| NFL 通算成績 | |||||||||||||||||||
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| Player stats at PFR | |||||||||||||||||||
アーロン・カリー(Aaron Curry 1986年4月6日- )はノースカロライナ州ファイエットビル出身の元アメリカンフットボール選手・コーチ。現役時代のポジションはラインバッカー。
プロ入りまで
高校時代はラインバッカー及びタイトエンドとしてプレーした。大学に進学する際はRivals.com [1]、Scout.com のそれぞれから二つ星の評価しか受けていなかったが[2]、ウェイクフォレスト大学、イーストカロライナ大学からリクルーティングを受けて、ウェイクフォレスト大学へ進学した。ウェイクフォレストを選んだ理由は自宅から2時間の距離にあったこともあるが、自分に対して奨学金のオファーをしなかった、ノースカロライナ大学、デューク大学、ノースカロライナ州立大学などアトランティック・コースト・カンファレンスの大学へのリベンジだとカリーは語った[3]。
1年次の2005年は10試合の先発出場を含み11試合に出場し、チーム5位の39タックルをあげて、スポーティングニュースよりフレッシュマンのオールアメリカンセカンドチーム及びカンファレンスのフレッシュマンオールチームに選ばれた。2年次の2006年にはアウトサイドラインバッカーとして全14試合に先発出場し、チーム2位の83タックルをあげた。3年次の2007年にはカレッジフットボールのラインバッカーとしてはシーズンタイ記録となる3インターセプトリターンタッチダウンをあげた[4][5]。またこの年インターセプトリターンで226ヤードの大学新記録を樹立した。またチーム2位の99タックルをあげてカンファレンスのセカンドチームに選ばれた。彼は2008年のドラフトにアーリーエントリーすることも検討したが大学に残った[6]。4年次は105タックル(16ロスタックル)をあげてバトカス賞を受賞[4]、ESPN、プロフットボール・ウィークリー、スポーツ・イラストレイテッドからオールアメリカンに選ばれている。
2009年のNFLドラフトでその年のドラフト候補中、最も優れたラインバッカーと広く考えられていた彼は[7][8]全体1位指名もあるのではと予想された[9][10]。ESPNのメル・キッパー・ジュニアは彼をキース・バラックと比較した[11]。
ドラフト当日、シアトル・シーホークスから全体4位で指名された。これは2000年のドラフトでラヴァー・アーリントンがワシントン・レッドスキンズから全体2位で指名されて以来最も高順位であった[12]。
シアトル・シーホークス
契約は難航し、トレーニングキャンプが始まった後の8月9日、6年6000万ドル(3400万ドルの保障)でシーホークスと契約を結んだ[13]。3400万ドルの保障は、QB以外のポジションの選手としては史上最高額であった[14][15]。
先発ストロングサイドラインバッカーとなった彼はセントルイス・ラムズとのデビュー戦で4タックルをあげた。また第3週のシカゴ・ベアーズ戦ではジェイ・カトラーからプロ初サックをあげている。
2011年、序盤プレーに精彩を欠いたため控えに降格され[16][17]、トレード要員となった[18]。
オークランド・レイダース
2011年10月、2012年のドラフト7巡指名権及び2013年のドラフト指名権と引き換えにオークランド・レイダースにトレードされた彼は[19]先発ウィークサイドラインバッカーとして起用されることとなった[20]。この年先発9試合を含む11試合に出場し、46タックル、2ファンブルリカバーをあげた[21]。
2012年、ひざの負傷によりトレーニングキャンプを全休、開幕からPUPリスト入りした。その後、アクティブロースターに入ったが、11月16日のボルチモア・レイブンズ戦で23,625ドルの罰金を課され[22]、11月20日、レイダースからカットされた[21]。
ニューヨーク・ジャイアンツ
2013年5月10日、ニューヨーク・ジャイアンツと契約を結んだ[23]。8月25日、ロースターを75人に減らす段階でジャイアンツから解雇され[24]、8月28日、引退を表明した[25]。
現役引退後
2014年より、ノースカロライナ大学シャーロット校のコーチングスタッフに加入し、2015年にはディフェンシブラインコーチに就任した[26]。
2019年より古巣のシーホークスのコーチングスタッフに加入し、2020年3月11日にディフェンシブアシスタントコーチに就任し[27]、2022年シーズンまで務めた。
2023年2月22日にピッツバーグ・スティーラーズのラインバッカーコーチに就任した[28]。