シカゴ・ベアーズ

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創設1920年9月17日 (105年前) (1920-09-17)
NFC中地区
シカゴ・ベアーズ
Chicago Bears
創設 1920年9月17日 (105年前) (1920-09-17)
NFL参入 1920年シーズン
所属地区
  • NFL(1920-現在)
    • NFC(1970-現在)
    北地区(2002-現在)
    中地区(1970-2001)
    • 西カンファレンス(1953-1969)
    中地区(1967-1969)
    地区分けなし(1953-1966)
    • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)
    • 西地区(1933-1949)
    • 地区分けなし(1920-1932)
  • 独立チーム(1919-1920)
チームデザイン
チームロゴ
 
チームカラー
  ネイビーブルー
  バーントオレンジ
 
ユニフォーム
チーム名
  • シカゴ・ベアーズ(1922-現在)
    • シカゴ・ステイリーズ(1921)
    • ディケーター・ステイリーズ(1920)
ホームタウン
シカゴ・ベアーズの位置(アメリカ合衆国内)
1921-現在
1921-現在
1920
1920

イリノイ州シカゴ(1921-現在)
イリノイ州ディケーター(1920)

ソルジャー・フィールド (1971-2001, 2003- )
メモリアル・スタジアム (2002)
リグレー・フィールド (1921–1970)
ステイリー・フィールド (1920)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (1回)
カンファレンス・チャンピオン (2回)
NFC
地区優勝 (12回)
NFC中地区
NFC北地区
ワイルドカード(5回)
プレーオフ進出(17/60回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFL西
地区優勝
NFL西地区
球団組織
オーナーバージニア・ハラス・マカスキー
GMライアン・ポールズ
ヘッドコーチベン・ジョンソン

シカゴ・ベアーズ英語: Chicago Bears、略称: CHI)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに本拠地をおくNFLチーム。NFC北地区に所属している。ホームスタジアムはソルジャー・フィールド。本部と練習場は、シカゴ都市圏内のレイクフォレストに位置し、「ハラスホール」と呼ばれている。

AFLとの合併以前にNFLを8度制覇しており、合併以後は1985年に第20回スーパーボウルを制覇している[注 1]。NFL創設時から存在するチームであり、プロフットボール殿堂入りメンバー数、永久欠番選出数はいずれもNFL32チームで最も多い。

1920年9月17日にイリノイ州ディケーターディケーター・ステイリーズ(Decatur Staleys)として創設し、誕生したばかりのNFL(当時は、アメリカン・プロフェッショナル・フットボール・アソシエーション、略称:APFA)に加入した。NFLオリジナルチームで現存するのは、ベアーズとアリゾナ・カージナルス(当時は、ラシーン・カージナルス)の2チームのみである。1921年シカゴに移転し、シカゴ・ステイリーズ(Chicago Staleys)、1922年に現在まで続くシカゴ・ベアーズ(Chicago Bears)へと改名した。1970年シーズンまでは、シカゴ市内北部のリグレー・フィールドをホームとしていたが、現在はミシガン湖に隣接する南部エリアにあるソルジャー・フィールドをホームとしている。グリーンベイ・パッカーズとは、同じNFC北地区にあり、チームのNFL加入も1年しか違わない(パッカーズ は1921年加入)ため、長年にわたりライバル関係にある。

伝統的にディフェンスとランオフェンスによるボールコントロールを主体とした戦術を採用している。本拠地のソルジャー・フィールドは厳冬期はミシガン湖の上を吹き寄せる風によって大雪が降ったり、1988年のプレーオフ、フィラデルフィア・イーグルス戦(Fog Bowl)のように濃霧の中で行われた試合もある。

シカゴを地盤とする第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマは、自らがベアーズ・ファンであることを公言している[1]

歴史

チーム創設期

チーム創設者ジョージ・ハラス(右)とNFLコミッショナーピート・ロゼール

ベアーズは、元々イリノイ州ディケーターに本社を置く食品澱粉製造企業のA・E・ステイリー社が会社のチームとしてディケーター・ステイリーズという名称で設立したチームだった[注 2]1920年、ステイリー社は、ジョージ・ハラスダッチ・スターナマンをチームを運営するために雇用した。ベアーズとNFLの公式記録上では、ハラスが創設者とされている。翌1921年、ステイリー社はチームをハラスとスターナマンに引き継ぎ、本拠地はシカゴへ、チーム名はシカゴ・ステイリーズへと変更した。ハラスとスターナマンがステイリー社と交わした契約により、ハラスはステイリー社からチームのの権利を100ドルで購入している。

1922年、ハラスはチーム名をシカゴ・ベアーズへと変更した。また、ホームスタジアムをMLBのシカゴ・カブスが使用されているリグレー・フィールドに移転した。チーム名は、MLBシカゴ・カブスのカブス(小熊)と対比し、フットボール選手は野球選手より大きいという理由でベアーズ(熊)の名が採用された。また、チームカラーは、ハラスの母校であるイリノイ大学の鮮やかなオレンジとブルーを若干濃くした色を採用した。

ベアーズは、NFL創設初期には圧倒的な強さを誇った。ベアーズとグリーンベイ・パッカーズとのライバル関係は、アメリカのプロスポーツ界で最も古く、1921年まで遡る。この年、ハラスはパッカーズが特定の選手と契約するのを阻止するためにリーグから除名させ、ベアーズがその選手との契約を成立させた後に、リーグに再加入させたという事件があった。

1924年のチーム写真

1921年にはNFLチャンピオンシップを獲得して以降、10年間その強さを維持した。1924年12月7日、ベアーズはクリーブランド・ブルドッグスを破って優勝を果たし、この年のチーム写真に「ワールドチャンピオン」という称号が付けられた。しかし、NFLでは11月30日以降の試合はリーグ戦の順位に含まれないことを事前に示しており、実際はクリーブランドに次ぐ2位であった。

1925年、ベアーズは、イリノイ大学4年生HBのレッド・グレンジを、グランジが大学を卒業する1日前に契約したことから、NFLは「大学生が卒業するまで選手と契約できない」というルールを長年制定していた。

この頃、チームは強かったものの、チーム内部では運営費の増加と観客動員数の減少という問題を抱えていた。カレッジフットボールシカゴ大学の試合では1試合に40,000人から50,000人の観客が集まるのに対し、ベアーズは1試合に5,000人から6,000人の観客しか集まらなかった。そのため、ベアーズとしては、カレッジフットボールのトップ選手であるレッド・グレンジを選手として起用することで、より多くのファンを獲得したい、という思惑があった。グレンジは代理人のC.C.パイルを介し、ベアーズと1試合2,000ドルの契約を結んだ。最初の試合ではサイドラインにとどまったものの、ベアーズのQBジョーイ・スターナマンからチームのプレーを学び、その後の試合では、75,000人の観客を集め、西海岸のカレッジ・オールスターチームとして結成されたロサンゼルス・タイガース相手に17対7で勝利した。

1926年、レッド・グレンジはベアーズとの契約交渉がうまくいかず、パイルが創設したニューヨーク・ヤンキースAFL)に移籍した。また、ジョーイ・スターナマンは自身がオーナーを務めるシカゴ・ブルズ(AFL)へ移籍した。その後、ベアーズはパディ・ドリスコルと契約した。シーズン後、AFLはわずか1シーズンで解散してしまったため、グレンジとジョーイ・スターナマンはベアーズに復帰することになった。

チームは財政的損失を負い続けており、1932年シーズン限りでハラスと共にチームを支えたダッチ・スターナマンは退団した[注 3]。12月18日、この年に導入され、非公式のNFLチャンピオンシップゲームとなった試合で、ベアーズがポーツマス・スパルタンズ(現、デトロイト・ライオンズ)相手に、シカゴ・スタジアムで行われた初の屋内アメリカンフットボールの試合に勝利した。

1932年のプレーオフゲームの成功により、NFLはチャンピオンシップゲームを導入することになった。1933年の初のNFLチャンピオンシップゲームでは、ベアーズはニューヨーク・ジャイアンツと対戦し、23-21で勝利した。

モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ時代

1940年から1947年にかけてQBのシド・ラックマンを擁して、5回のNFLチャンピオンシップゲームに出場し4回の優勝を果たした。この頃のベアーズは、「モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ」と呼ばれた(後述)。1940年12月8日に開催された1940年NFLチャンピオンシップゲームグリフィス・スタジアム)では、ワシントン・レッドスキンズ相手にNFL史上最も点差の開いた試合となる73-0での勝利を果たした[2]。1950年代はチームはどん底の時期を過ごしたが、1963年に再びチャンピオンシップゲームを制した。しかし、その後スーパーボウル優勝まで20年以上遠ざかることになった。1960年代終わりにはディック・バトカスゲイル・セイヤーズブライアン・ピッコロらを擁した。1971年にはABCのテレビ映画「Brian's Song」が作られ、ピッコロをジェームズ・カーン、セイヤーズをビリー・ディー・ウィリアムズが演じた。ハラスを演じたジャック・ウォーデンエミー賞を受賞した。

ハラスは1967年にヘッドコーチを退任し、その後オーナーとなっていたが1970年のNFLによるAFLの吸収合併が行われた後、結成されたNFCの代表に選ばれ。1983年に亡くなるまで務めた。現在では、NFCチャンピオンシップゲームに勝利したチームに渡される「ジョージ・ハラス・メモリアル・カップ」にハラスの名が残されている。

苦闘の時代

1969年及び1970年は地区最下位に終わった。1975年のドラフト1巡目でジャクソン州立大学からウォルター・ペイトンを獲得した。ペイトンは1977年にシーズンMVPを獲得する活躍を見せて[3][4]1984年にはジム・ブラウンが持っていた通算ラッシング獲得ヤード記録を塗り替えて1987年に引退した。この記録は2002年にエミット・スミスに破られるまで保持された。[5]ペイトンはベアーズファンによって「Sweetness」と呼ばれ愛された。1999年に彼はガンのため亡くなった。

ディトカによるスーパーボウル制覇

13年間チームで活躍したRBウォルター・ペイトン(1986年)

1961年から1966年にベアーズのタイトエンドとして活躍したマイク・ディトカ1982年にヘッドコーチに就任した。彼の下でディフェンス・コーディネーターだったバディ・ライアンの考案した46ディフェンスやペイトンの活躍でチームは1985年のシーズンは、マンデーナイトフットボールマイアミ・ドルフィンズに1敗した以外負け無しの15勝1敗でシーズンを終え、NFCのプレーオフではニューヨーク・ジャイアンツロサンゼルス・ラムズを無得点に抑えスーパーボウルまで勝ち上がった。第20回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを46-10で破りスーパーボウル初制覇を果たした。この試合では3サックをマークしたリチャード・デントがMVPに選ばれている。また、レギュラーシーズンの対グリーンベイ・パッカーズ戦でワイドレシーバーとしても起用されTDパスを捕球したウィリアム・ペリーがショートヤードを残したところでフルバックとして起用され、タッチダウンを獲得している。

スーパーボウル制覇後

選手とコーチの両方でベアーズの優勝に貢献したマイク・ディトカ(2006年)

スーパーボウルを制覇した後も地区優勝を続けるなど、NFCの強豪として活躍を見せたベアーズだが、ウェストコーストオフェンスを用いたサンフランシスコ・フォーティナイナーズにプレーオフで敗れるシーズンが相次ぎ現在46ディフェンスは使われなくなっている。1992年シーズン終了後、ディトカがヘッドコーチを解任された後、ダラス・カウボーイズジミー・ジョンソンヘッドコーチの下でディフェンスコーディネーターを務めたデイブ・ウォンステッド1993年から1998年までヘッドコーチを務めたがプレーオフには1度しか出場を果たせなかった。1999年からヘッドコーチとなったディック・ジャーロン2001年に地区優勝を果たしコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2003年までの5シーズンでチームがプレーオフに出場したのはその1度きりであった。

2002年シーズンのみ、本拠地ソルジャー・フィールドの改修工事に伴い、イリノイ州シャンペーンイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校内にあるメモリアル・スタジアムを使用した。

ラビー・スミスの時代

2004年ラビー・スミスが新ヘッドコーチに就任した。

2005年ドラフト4巡目にQBカイル・オートンを指名した。この年は11勝5敗の成績をあげて、チームを地区優勝を果たした[6]。ディビジョナルプレーオフでカロライナ・パンサーズに21-29で破れシーズンを終えた[7]

2006年、チームは開幕から7連勝し[8]、第9週にマイアミ・ドルフィンズに敗れて連勝は止まったものの[9]、第13週に地区優勝を決定[10]、13勝3敗でNFC第1シードを獲得した。ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスをオーバータイムの末、27-24で破り1988年以来となるNFCチャンピオンシップゲームに進出した[11]。NFCチャンピオンシップゲームではトーマス・ジョーンズや守備陣の活躍で、ニューオーリンズ・セインツを39-14で破り、21年ぶりのスーパーボウル出場を果たした[12]。ラビー・スミスは相手チーム、インディアナポリス・コルツトニー・ダンジーと共にスーパーボウルに出場した初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチとなった[13]第41回スーパーボウルではデビン・ヘスターのキックオフリターンタッチダウンで開始14秒でベアーズが先制、第1Qにさらにレックス・グロスマンからムーシン・モハメドへのタッチダウンパスも決まり14-6とリードした。QBのグロスマンは28本中20本のパスを成功させたが2インターセプトを喫し、5点差だった第4Q初めにグロスマンのパスをインターセプトしたケルビン・ヘイデンに56ヤードのリターンタッチダウンを決められ[14]、最終的に17-29で敗れた。

2007年3月5日、トーマス・ジョーンズをドラフト2巡指名権と引き換えにニューヨーク・ジェッツにトレードした[15]。この年チームは7勝9敗に終わりプレーオフを逃した[16]

2008年、9勝7敗でプレーオフを逃した。シーズン終了後、契約最終年のグロスマンと延長契約を結ばず放出した。

2009年デンバー・ブロンコスのプロボウルQBジェイ・カトラーをQBカイル・オートンドラフト指名権と引き換えに獲得、サラリーキャップのためセントルイス・ラムズから放出されたオフェンスラインのオーランド・ペースを獲得した。

2010年カロライナ・パンサーズからジュリアス・ペッパーズを、ミネソタ・バイキングスからチェスター・テイラーを獲得した[17]。10月24日のワシントン・レッドスキンズ戦ではディアンジェロ・ホールに4インターセプトを喫し14-17で敗れた[18]。NFC北地区優勝を果たし、ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスを破り、NFCチャンピオンシップゲームまで進出しグリーンベイ・パッカーズと対戦したが、第3Qにジェイ・カトラーが負傷退場[19]、その後トッド・コリンズケイレブ・ヘイニーがリリーフしたが敗れた[20]

2011年、開幕から連勝を続けるグリーンベイ・パッカーズからは離されたものの、マット・フォーテイがランとレシーブの合計獲得ヤード数でNFLトップの活躍などで5連勝し7勝3敗とプレーオフ出場を争っていたが[21]、第11週にジェイ・カトラーが右手親指を骨折して戦線離脱[22]、フォーテイも第13週に負傷し戦線を離脱した[23]。控えQBのヘイニーが先発QBとなってから4連敗[24]ジョシュ・マカウンが先発QBとして最後の2試合に先発出場し、最終週のミネソタ・バイキングス戦に勝利し連敗を5で止めて8勝8敗でシーズンを終えた[25]。シーズン終了後、パス偏重でカトラーとの確執も噂されていたマーク・マーツオフェンスコーディネーターが退団した[26][27]。またジェリー・アンジェロGMも解任された[28]

2012年、第9週までの9試合で8勝1敗の成績をあげたが、その後3連敗するなど、残り7試合で2勝5敗、10勝6敗となり、タイブレークでプレーオフ出場を逃した[29]。シーズン終了後、ラビー・スミス・ヘッドコーチは解任された[30]。後任ヘッドコーチには、CFLモントリオール・アルエッツヘッドコーチとして5シーズンで2度優勝しているマーク・トレストマンが就任することとなった[31]

低迷再び

トレストマンHC

2013年シーズンは最終節まで地区優勝を争ったが、最終戦のパッカーズ戦で残り38秒にタッチダウンで逆転され敗戦。プレーオフ進出も果たせなかった[32]

2014年シーズンはカトラーと2020年まで契約を延長して臨んだものの[33]、10月に3連敗、終盤に5連敗を喫し地区最下位となった。カトラーの調子も安定せず、一時は控えに降格した[34]。シーズン終了後、トレストマン・ヘッドコーチが解雇され[35]、後任には元カロライナ・パンサーズのヘッドコーチで、2014年シーズンまでデンバー・ブロンコスヘッドコーチを務めていたジョン・フォックスが迎えられた[36]

ジョン・フォックスHC

カトラーは2016年シーズン後に引退し、チームはフォックスのもとで、2015年2016年2017年と3年続けて地区最下位に沈み、2017年シーズン後にフォックスは解任された。後任はカンサスシティ・チーフスOCのマット・ナギーとなった。

マット・ナギーHC

2018年シーズンは、前年のドラフト全体2位で指名したミッチェル・トゥルビスキーをエースQBとし、4年ぶりに地区最下位を脱し、8年ぶりに地区優勝とプレーオフ出場を遂げたが、プレーオフ初戦で敗退した。2019年はプレーオフを逃した。

2020年新型コロナウイルス感染症の流行により全試合を無観客で開催した。ドラフト指名権とのトレードでジャクソンビル・ジャガーズからQBニック・フォールズを獲得した。8勝8敗の成績ながらもワイルドカードでプレーオフに進出したが初戦でニューオーリンズ・セインツに敗れた。

2021年、前ダラス・カウボーイズのQBアンディ・ダルトンと契約、トゥルビスキーはバッファロー・ビルズに移籍、この年のドラフト1巡目でQBジャスティン・フィールズを指名した。プレーオフ進出は逃した。シーズン終了直後、HCナギーとGMペースを解雇した。GMの後任にはカンザスシティ・チーフスの選手人事部門責任者だったライアン・ポールズが就任した。HCには、インディアナポリス・コルツのDCだったマット・エバーフラスが就任した。

マット・エバーフラスHC

2022年、シーズン最後まで10連敗を喫するなど成績は振るわず、地区最下位でプレーオフを逃し、リーグ全体でも最下位の勝率となり翌ドラフトの総合1位の指名権を得た。

2023年、開幕から4連敗を喫して前年からの連敗を14とするも、5週目にワシントン・コマンダースを破って連敗を止めた[37]。負け越してプレーオフを逃した。最下位に終わったカロライナ・パンサーズから1年前に2024年ドラフトの一巡目の権利をトレードで得ていたため、2年連続しての総合1位に加え9位の指名権を手にすることになった。

2024年はドラフト全体1位で獲得したQBケイレブ・ウィリアムズを擁して臨むシーズンとなった[38]。序盤こそ4勝2敗で滑り出したが[39]、そこから10連敗を喫し地区最下位でプレーオフを逃した[40]。ウィリアムズが68サックを喫するなどオフェンスが機能せず[41]、第13週の試合で3点差を追う試合終了間際に敵陣まで攻め込んだにもかかわらず、タイムアウトコールのミスでフィールドゴールすら蹴れずに敗れ去るなど[42]、チームのゲームマネジメントにも問題が露呈した。シーズン中の11月、エバープラスは解雇され(HCのシーズン中解雇はチーム史上初)、オフェンス・コーディネーターのトーマス・ブラウンが暫定HCとなった[43]

ベン・ジョンソンHCの時代

2025年1月21日、デトロイト・ライオンズのオフェンス・コーディネーターのベン・ジョンソンがヘッドコーチになった[44]。第16週ではグリーンベイ・パッカーズ相手に終盤オンサイドキックを決めて同点に持ち込んで延長戦で勝ち、デトロイト・ライオンズの負けにより5年ぶりのプレーオフ進出を決めた。第17週に7年ぶりの地区優勝を決めた。プレーオフでは延長となった第二戦でロサンゼルス・ラムズに敗れた。

新スタジアム

ソルジャー・フィールドはシカゴ市が所有するスタジアムであり、そもそもはベアーズが建設するスタジアムまでの暫定的な本拠地の予定であった。1971年からベアーズが利用するソルジャー・フィールドは、リノベーションは経ているものの1922年に建設開始と古く、2025年現在でNFL最小キャパシティである。利用開始直後からベアーズは新しい自前のスタジアム建設を考慮してきたが、シカゴ市およびイリノイ州とは土地や公的資金投入をめぐって合意に至っていない。2026年2月、シカゴ市に隣接するインディアナ州において、ベアーズのスタジアムを建設しようという法案が可決した[45]

文化

ステイリー・ダ・ベアー

モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ

ベアーズの強力なディフェンス陣はしばしばモンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ(Monsters of the Midway)と呼ばれていた。最初は1940年と1941年の圧倒的な強さのことを指していたが、第20回スーパーボウルで優勝した1985年にも同様の呼称をされ、以来ベアーズのディフェンス陣、特にラインバッカーを指すニックネームとなった。もともとは、エイモス・アロンゾ・スタッグ率いるシカゴ大学フットボールチームのニックネームであり、同大学キャンパスに隣接する「ミッドウェイ・プレイサンズ」という通り名から名付けられた。そのため、シカゴ・ミッドウェー国際空港とは関係がない。

ベアーズのラインバッカーとして活躍した選手には、ビル・ジョージ(1952–1965)、ディック・バトカス(1965–1973)、マイク・シングレタリー(1981–1992)、ブライアン・アーラッカー(2000–2012)などがいる。

マスコット

チームの公式マスコットは、クマステイリー・ダ・ベアー(Staley Da Bear)である。名前は、元々のベアーズ創設者である農工業製品メーカーのA・E・ステイリー社から名付けられた。2003年に登場し、以来試合のみならず、チャリティーイベント、パーティー、シカゴ・ラッシュAFL、2013年解散)の試合などに参加している。

チアリーダー

現在、ベアーズにはチアリーダーは存在しない[46]が、1970年代後半から1985年までシカゴ・ハニーベアーズ(Chicago Honey Bears)が活動していた。第20回スーパーボウルで優勝したのち、解散となった。

2026年シーズン

ベアーズ の当年及び近年のシーズン成績
成績Con地区地区ConSOSSOV平均得点平均失点
2025 ディビジョナル敗退2位優勝1160.6472-47-5.458.40625.924.4
2024 レギュラーシーズン敗退13位4位5120.2941-53-9.554.38818.221.8
2023 レギュラーシーズン敗退11位4位7100.4122-46-6.464.37021.222.3
2022 レギュラーシーズン敗退16位4位3140.1760-61-11.572.48019.227.2
2021 レギュラーシーズン敗退13位3位6110.3532-44-8.524.37318.323.9
2020 ワイルドカード敗退7位2位880.5002-46-6.488.33623.223.1
2019 レギュラーシーズン敗退8位3位880.5004-27-5.508.38317.518.6
2018 ワイルドカード敗退3位優勝1240.7505-110-2.430.41926.317.7
2017 レギュラーシーズン敗退15位4位5110.3120-61-11.559.50016.520.0
2016 レギュラーシーズン敗退15位4位3130.1882-43-9.521.39617.424.3
2015 レギュラーシーズン敗退14位4位6100.3751-53-9.547.46920.924.8
2026年シーズンのベアーズの対戦相手
AFCNFC
前年西地区南地区北地区東地区西地区南地区北地区東地区
1位 ブロンコス ジャガーズ スティーラーズ ペイトリオッツ シーホークス パンサーズ ベアーズ イーグルス
2位 チャージャーズ テキサンズ レイブンズ ビルズ ラムズ バッカニアーズ パッカーズ カウボーイズ
3位 チーフス コルツ ベンガルズ ドルフィンズ 49ers ファルコンズ バイキングス コマンダース
4位 レイダース タイタンズ ブラウンズ ジェッツ カージナルス セインツ ライオンズ ジャイアンツ

 :1度対戦  :2度対戦

シカゴ・ベアーズ 2025
米国日本対戦相手スコア勝敗開催地備考
19/8(月)9/9(火)ミネソタ・バイキングス24-270-1ソルジャー・フィールドR
29/14(日)9/15(月)@デトロイト・ライオンズ21-520-2フォード・フィールドR
39/21(日)9/22(月)ダラス・カウボーイズ31-141-2ソルジャー・フィールドR
49/28(日)9/29(月)@ラスベガス・レイダース25-242-2アレジアント・スタジアムR
5Bye Week
610/13(月)10/14(火)@ワシントン・コマンダース25-243-2ノースウェスト・スタジアムR
710/19(日)10/20(月)ニューオーリンズ・セインツ26-144-2ソルジャー・フィールドR
810/26(日)10/27(月)@ボルチモア・レイブンズ16-304-3M&Tバンク・スタジアムR
911/2(日)11/3(月)@シンシナティ・ベンガルズ47-425-3ペイコー・スタジアムR
1011/9(日)11/10(月)ニューヨーク・ジャイアンツ24-206-3ソルジャー・フィールドR
1111/16(日)11/17(月)@ミネソタ・バイキングス19-177-3USバンク・スタジアムR
1211/23(日)11/24(月)ピッツバーグ・スティーラーズ31-288-3ソルジャー・フィールドR
1311/28(金)11/29(土)@フィラデルフィア・イーグルス24-159-3リンカーン・フィナンシャル・フィールドR
1412/7(日)12/8(月)@グリーンベイ・パッカーズ21-289-4ランボー・フィールドR
1512/14(日)12/15(月)クリーブランド・ブラウンズ31-310-4ソルジャー・フィールドR
1612/20(土)12/21(日)グリーンベイ・パッカーズ22(OT)1611-4ソルジャー・フィールドR
1712/28(日)12/29(月)@サンフランシスコ・49ers38-4211-5リーバイス・スタジアムR
181/4(日)1/5(月)デトロイト・ライオンズ16-1911-6ソルジャー・フィールドR
ポストシーズン(第2シード)
WC1/10(土)1/11(日)(7)グリーンベイ・パッカーズ31-271-0ソルジャー・フィールドR
DP1/18(日)1/19(月)(5)ロサンゼルス・ラムズ17(OT)201-1ソルジャー・フィールドR
NFC北地区 2025
チーム勝率DIVCON総得点総失点平均得点平均失点SOVSOS
(2)シカゴ・ベアーズ1160.6472-47-544141525.924.4.406.458
(7)グリーンベイ・パッカーズ971.5594-27-4-139136023.021.2.431.483
ミネソタ・バイキングス980.5294-27-534433320.219.6.431.514
デトロイト・ライオンズ980.5292-46-648141328.324.3.428.490
NFC 2025
順位チーム地区勝率DIVCONSOVSOS
地区優勝
1シアトル・シーホークス西1430.8244-29-3.471.498
2シカゴ・ベアーズ1160.6472-47-5.406.458
3フィラデルフィア・イーグルス1160.6473-38-4.455.476
4カロライナ・パンサーズ890.4713-36-6.463.522
ワイルドカード
5ロサンゼルス・ラムズ西1250.7064-27-5.485.526
6サンフランシスコ・49ers西1250.7064-29-3.417.498
7グリーンベイ・パッカーズ971.5594-27-4-1.431.483
8ミネソタ・バイキングス980.5294-27-5.431.514
9デトロイト・ライオンズ980.5292-46-6.428.490
10タンパベイ・バッカニアーズ890.4713-36-6.485.529
11アトランタ・ファルコンズ890.4713-37-5.449.495
12ダラス・カウボーイズ791.4414-24-7-1.311.438
13ニューオーリンズ・セインツ6110.3533-34-8.333.495
14ワシントン・コマンダース5120.2943-33-9.388.507
15ニューヨーク・ジャイアンツ4130.2352-42-10.478.524
16アリゾナ・カージナルス西3140.1760-63-9.422.571
タイブレーク
・ ラムズ・49ers(同地区):共通対戦相手に対する勝率によりラムズが上位
・ ライオンズ・バイキングス(同地区):直接対決の成績によりバイキングスが上位
・ ファルコンズ・パンサーズ・バッカニアーズ(同地区):直接対決の成績によりパンサーズが上位
・ ファルコンズ・バッカニアーズ(同地区):共通対戦相手に対する勝率によりバッカニアーズが上位
・ ベアーズ・イーグルス:直接対決での全勝によりベアーズが上位

成績

NFC北地区(2002年-現在)

地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
2025 CHI(2d)1160 GB (7w)971 MIN980 DET980
2024 DET(1d)1520 MIN(5w)1430 GB (7w)1160 CHI5120
2023 DET(3c)1250 GB (7d)980 MIN7100 CHI7100
2022 MIN(3w)1340 DET980 GB890 CHI3140
2021 GB (1d)1340 MIN890 CHI6110 DET3131
2020 GB (1c)1330 CHI(7w)880 MIN790 DET5110
2019 GB (2c)1330 MIN(6d)1060 CHI880 DET3121
2018 CHI(3w)1240 MIN871 GB691 DET6100
2017 MIN(2c)1330 DET970 GB790 CHI5110
2016 GB (4c)1060 DET(6w)970 MIN880 CHI3130
2015 MIN(3w)1150 GB (5d)1060 DET790 CHI6100
2014 GB (2c)1240 DET(6w)1150 MIN790 CHI5110
2013 GB (4w)871 CHI880 DET790 MIN5101
2012 GB (3d)1150 MIN(6w)1060 CHI1060 DET4120
2011 GB (1d)1510 DET(6w)1060 CHI880 MIN3130
2010 CHI(2c)1150 GB (6v)1060 DET6100 MIN6100
2009 MIN(2c)1240 GB (5w)1150 CHI790 DET2140
2008 MIN(3w)1060 CHI970 GB6100 DET0160
2007 GB (2c)1330 MIN880 DET790 CHI790
2006 CHI(1s)1330 GB880 MIN6100 DET3130
2005 CHI(2d)1150 MIN970 DET5110 GB4120
2004 GB (3w)1060 MIN(6d)880 DET6100 CHI5110
2003 GB (4d)1060 MIN970 CHI790 DET5110
2002 GB (3w)1240 MIN6100 CHI4120 DET3130

NFC中地区(1970年-2001年)

  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝2位3位4位5位
チームチームチームチームチーム
2001 CHI(2d)1330 GB(4d)1240 TB(6w)970 MIN5110 DET2140
2000 MIN(2c)1150 TB(5w)1060 GB970 DET970 CHI5110
1999 TB(2c)1150 MIN(4d)1060 DET(6)880 GB880 CHI6100
1998 MIN(1c)1510 GB(5w)1150 TB880 DET5110 CHI4120
1997 GB(2s)1330 TB(4d)1060 DET(5w)970 MIN(6d)970 CHI4120
1996 GB(1v)1330 MIN(6w)970 CHI790 TB6100 DET5110
1995 GB(3c)1150 DET(5w)1060 CHI970 MIN880 TB790
1994 MIN(3w)1060 GB(4d)970 DET(5w)970 CHI(6d)970 TB6100
1993 DET(3w)1060 MIN(5w)970 GB(6d)970 CHI790 TB5110
1992 MIN(3w)1150 GB970 TB5110 CHI5110 DET5110
1991 DET(2c)1240 CHI(4w)1150 MIN880 GB4120 TB3130
1990 CHI(4d)1150 TB6100 DET6100 GB6100 MIN6100
1989 MIN(3d)1060 GB1060 DET790 CHI6100 TB5110
1988 CHI(1c)1240 MIN(4d)1150 TB5110 DET4120 GB4120
1987 CHI(2d)1140 MIN(5c)870 GB591 TB4110 DET4110
1986 CHI(2d)1420 MIN970 DET5110 GB4120 TB2140
1985 CHI(1v)1510 GB880 MIN790 DET790 TB2140
1984 CHI(3c)1060 GB880 TB6100 DET4111 MIN3130
1983 DET(3d)970 GB880 CHI880 MIN880 TB2140
1982 GB(3d)531 MIN(4d)540 TB(7w)540 DET(8w)450 CHI360
1981 TB(3d)970 DET880 GB880 MIN790 CHI6100
1980 MIN(3d)970 DET970 CHI790 TB5101 GB5101
1979 TB(2c)1060 CHI(5w)1060 MIN790 GB5110 DET2140
1978 MIN(3d)871 GB871 DET790 CHI790 TB5110
1977 MIN(3c)950 CHI(4d)950 DET680 GB4100 TB2120
1976 MIN(1s)1120 CHI770 DET680 GB590
1975 MIN(1d)1220 DET770 CHI4100 GB4100
1974 MIN(s)1040 DET770 GB680 CHI4100
1973 MIN(s)1220 DET671 GB572 CHI3110
1972 GB(d)1040 DET851 MIN770 CHI491
1971 MIN(d)1130 DET761 CHI680 GB482
1970 MIN(d)1220 DET(d)1040 GB680 CHI680

NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)

地区優勝2位3位4位
チームチームチームチーム
1969 MIN(s)1220 DET941 GB860 CHI1130
1968 MIN(c)860 CHI770 GB671 DET482
1967 GB(v)941 CHI761 DET572 MIN383

NFL西カンファレンス(1953年-1966年)

優勝2位3位4位5位6位7位
チームチームチームチームチームチームチーム
1966 GB(V)1220 BAL950 LA860 SF662 CHI572 DET491 MIN491
スーパーボウル開始
1965 GB(v)1031 BAL1031 CHI950 SF761 MIN770 DET671 LA4100
1964 BAL(n)1220 GB851 MIN851 DET752 LA572 CHI590 SF4100
1963 CHI(v)1112 GB1121 BAL860 DET581 MIN581 LA590 SF2120
1962 GB(v)1310 DET1130 CHI950 BAL770 SF680 MIN2111 LA1121
1961 GB(v)1130 DET671 BAL860 CHI860 SF761 LA4100 MIN3110
1960 GB(n)840 DET750 SF750 BAL660 CHI561 LA471 DAL0111
1959 BAL(v)930 CHB840 GB750 SF750 DET381 LA2100
1958 BAL(v)930 CHB840 LA840 SF660 DET471 GB1101
1957 DET(v)840 SF840 BAL750 LA660 CHB570 GB390
1956 CHB(n)921 DET930 SF561 BAL570 GB480 LA480
1955 LA(n)831 CHB840 GB660 BAL561 SF480 DET390
1954 DET(n)921 CHB840 SF741 LA651 GB480 BAL390
1953 DET(v)1020 SF930 LA831 CHB381 BAL390 GB291

NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)

優勝2位3位4位5位6位7位
チームチームチームチームチームチームチーム
1952 DET(v)930 LA930 SF750 GB660 CHB570 DAL1110
1951 LA(v)840 DET741 SF741 CHB750 GB390 NYY192
1950 LA(n)93x CHB93x NYY75x DET66x GB39x SF39x BAL111x

NFL西地区(1933年-1949年)

優勝2位3位4位5位6位
チームチームチームチームチームチーム
1949 LA(n)822 CHB930 CHC651 DET480 GB2100
1948 CHC(n)1110 CHB1020 LA651 GB390 DET2100
1947 CHC(v)930 CHB840 GB651 LA660 DET390
1946 CHB(v)821 LA641 GB650 CHC650 DET1100
1945 CLE(v)910 DET730 GB640 CHB370 CHC190
1944 GB(v)820 CHI631 DET631 CLE460 Card-Pitt0100
1943 CHB(v)811 GB721 DET361 CHC0100
1942 CHB(n)1100 GB821 CLE560 CHC380 DET0110
1941 CHB(v)1010 GB1010 DET461 CHC371 CLE290
1940 CHB(v)830 GB641 DET551 CLE461 CHC272
1939 GB(v)920 CHB830 DET650 CLE551 CHC1100
1938 GB(n)830 DET740 CHB650 CLE470 CHC290
1937 CHB(n)911 GB740 DET740 CHC551 CLE1100
1936 GB(v)1011 CHB930 DET840 CHC281
1935 DET(v)732 GB840 CHB642 CHC642
1934 CHB(n)1300 DET1030 GB760 CHC560 StL120 CIN080
1933 CHB(v)1021 POR650 GB571 CIN361 CHC191

NFL(1920年-1932年)





チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
1932 8 1 CHB716 2 GB1031 3 POR624 4 BOS442 5 NY462 7 CHC262
1931 10 1 GB1220 2 POR1130 3 CHB850 4 CHC540 5 NY761
1930 11 1 GB1031 2 NY1340 3 CHB941 7 CHC562 8 POR563
1929 12 1 GB1201 2 NY1311 4 CHC661 9 CHB492
1928 10 4 GB643 5 CHB751 6 NYG472 9 CHC150
1927 12 1 NYG1111 2 GB721 3 CHB932 9 CHC371
1926 22 2 CHB1213 5 GB733 6 NY841 10 CHC561
1925 20 1 CHC1121 4 NY840 7 CHB953 9 GB850
1924 18 2 CHB614 6 GB740 8 CHC541
1923 20 2 CHB921 3 GB721 6 CHC840
1922 18 2 CHB930 3 CHC830 8 GB433
1921 21 1 CHS932 7 GB721 9 CHC332
1920 14 2 DEC1012 4 CHC622

主な選手

現役選手

永久欠番

シカゴ・ベアーズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
3ブロンコ・ナグルスキーBronko NagurskiFB, LB, T1930–1937, 1943
5ジョージ・マカフィーGeorge McAfeeLB, DB1940–1941, 1945-1950
7ジョージ・ハラスGeorge HalasE1920–1929
28ウィリー・ガリモアWillie GalimoreRB1957–1963
34ウォルター・ペイトンWalter PaytonRB1975–1987
40ゲイル・セイヤーズGale SayersRB, KR1965–1971
41ブライアン・ピッコロBrian PiccoloRB, FB1965–1969
42シド・ラックマンSidney LuckmanQB, DB, P1939–1950
51ディック・バトカスDick ButkusMLB1965–1973
56ビル・ヒューイットBill HewittE1932–1936
61ビル・ジョージBill GeorgeMLB1952–1965
66ブルドッグ・ターナーBulldog TurnerC, LB1940–1952
77レッド・グレンジRed GrangeRB, DB1925, 1929–1934
89マイク・ディトカMike DitkaTE1961–1966

プロフットボール殿堂入り

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号名前ポジション在籍期間選出年
7ジョージ・ハラスGeorge HalasTE, DE1920–19281963
-創設者, オーナー, ヘッドコーチ1920–1983
77レッド・グレンジHarold (Red) GrangeHB, CB1925, 1929–19341963
3ブロンコ・ナグルスキーBronko NagurskiHB, OT, LB1930–1937, 19431963
13ジョージ・トラフトンGeorge TraftonC, DT1920–1921, 1923–19321964
1, 15ジミー・コンツェルマンJimmy ConzelmanQB19201964
16エド・ヒーリーEd HealeyOT, DT1922–19271964
11リンク・ライマンWilliam R. LymanOT, DT1926–1928, 1930–1931, 1933–19341964
13, 23ガイ・チェンバリンGuy ChamberlinEnd, DE1920–19211965
1パディ・ドリスコルPaddy DriscollQB, DB, K1926–19291965
-ヘッドコーチ1920–1922, 1956–1957
21ダン・フォートマンDan FortmannOG, DT1936–19431965
42シド・ラックマンSid LuckmanQB, CB1939–19501965
5ジョージ・マカフィーGeorge McAfeeHB, DB1940–1941, 1945–19501966
66ブルドッグ・ターナーBulldog TurnerC, DT1940–19521966
25ウォルト・キースリングWalt KieslingOG19341966
13ジョー・スタイダハーJoe StydaharOT, DT1936–1942, 1945–19461967
22ボビー・レーンBobby LayneQB19481967
56ビル・ヒューイットBill HewittTE, DE1932–19361971
61ビル・ジョージBill GeorgeLB1952–19651974
71ジョージ・コナーGeorge ConnorOT, LB1948–19551975
40ゲイル・セイヤーズGale SayersHB1965–19711977
51ディック・バトカスDick ButkusLB1965–19731979
16ジョージ・ブランダGeorge BlandaQB, K1949, 1950–19581981
16ジョージ・ムッソGeorge MussoOT, G1933–19441982
81ダグ・アトキンスDoug AtkinsDE1955–19661982
89マイク・ディトカMike DitkaTE1961–19661988
-ヘッドコーチ1982–1992
82アラン・ペイジAlan PageDL1978–19811988
78スタン・ジョーンズStan JonesOT1954–19651991
34ウォルター・ペイトンWalter PaytonHB1975–19871993
50マイク・シングレタリーMike SingletaryLB1981–19921998
99ダン・ハンプトンDan HamptonDE1979–19902002
95リチャード・デントRichard DentDE1983–1993, 19952011
76オーランド・ペースOrlando PaceOT20092016
54ブライアン・アーラッカーBrian UrlacherLB2000–20122018
7エド・スプリンクルEd SprinkleDE1944–19552020
74ジム・コバートJim CovertOT1983–19902020
コーチ・エグゼクティブ
名前役職在籍期間選出年
ジム・フィンクスJim FinksGM1974–19821995

ブライアン・ピッコロ賞

ベアーズは毎シーズン、ルーキー選手1名、ベテラン選手1名にブライアン・ピッコロ賞という賞を授与している。これは、1970年に26歳で胚細胞癌のため亡くなったブライアン・ピッコロRB)の勇気、忠誠心、チームワーク、献身、ユーモアのセンスに敬意を表したものである。1970年に始まり、以降授賞式は毎年、本部のハラスホールで開催される。

Top 100 greatest Bears of all-time

オールタイムチーム

その他引退選手

現役選手

ギャラリー

歴代ヘッドコーチ

脚注

外部リンク

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