イサベリーン
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競走馬時代に9戦1勝の成績を残し、引退後に繁殖牝馬となる。ヨーロッパで4頭の産駒を産んだのち、1953年秋、日本の競走馬資源不足解消のため日本軽種馬協会が購買した19頭の繁殖牝馬群のうち1頭として輸入された。1949年に英リーディングサイアーを獲得したボワルセル(Bois Roussel)の仔を受胎しており、抽選で青森県の盛田牧場に頒布された。盛田牧場代表の盛田寛二は、この時を「思ったより安い馬が当たったのでガッカリしたが、ボワルセルの名血なので僅かに希望を持った」と述懐している[1]。この牝馬群の中には他に、二冠牝馬ミスオンワードの母となるホールドタイト、二冠馬メイズイの母となるチルウインド、日本ダービー優勝馬フエアーウインの母となるフエアハネー、宝塚記念優勝馬シーザーの母となるトートレルなどがいた。
翌春に産んだ牡駒・ヒカルメイジは、競走馬となって1957年の日本ダービーに優勝し、持込馬として初のダービー優勝馬となる。さらに1956年に産んだ3番仔コマツヒカリ(父・トサミドリ)も日本ダービーに優勝し、イサベリーンは史上2組目の兄弟ダービー馬の母となった。
しかし名繁殖との評価を確立しながら、この2頭以外に産駒を残すことはできなかった。第2仔として産んだプリメロとの牝駒は、盛田牧場でロケが行われた映画『幻の馬』の撮影中に事故で脊椎を骨折し死亡[2]、第4仔のゲイタイムとの牝駒は出生後間もなく腸病で死亡[2]し、さらにこの年イサベリーン自身も子宮内膜炎に冒され、繁殖能力を失った[3]。以降は1964年まで交配が試みられたが一度も受胎することなく、1972年に繁殖登録を抹消され、その後は功労馬として余生を過ごした。イサベリーン自身は牝系を繋ぐことは叶わなかったが、ヒカルメイジが種牡馬となって数々の活躍馬を輩出し、その血統を伝えた。
1978年11月15日、老衰で死去。存命34歳6ヶ月8日(34歳192日)は、1995年9月30日にカネケヤキに抜かれるまで、日本のサラブレッド最長寿記録であった。同年、イサベリーンを主人公としたドキュメンタリー映画『母馬物語』が、日本中央競馬会によって制作されている。
血統表
参考文献
- 中央競馬ピーアール・センター『日本の名馬・名勝負物語』(中央競馬ピーアール・センター、1980年)ISBN 4924426024
- 日本中央競馬会『優駿』1991年12月号