イソコツブムシ属
From Wikipedia, the free encyclopedia
形態
イソコツブムシ属の分類は基本的に、外部形態、特に節や剛毛によるものである。基本的に解剖学的な用語は他の等脚目と同じであるため、等脚目#形態を参照。
体型は小判状で中庸の厚みがある。体節は、頭部、胸部、腹部に分類される。このうち、胸部と腹部が属の分類形質として扱われる。頭楯は決定的ではないが分類形質である。腹部の背側表面にある縫合線は本属の最重要な分類形質である。中央部分が途切れているため、左右が対になるように縫合線が存在する。基本的に2対の縫合線があるため、それぞれ前方縫合線と後方縫合線と呼ばれる。前方と後方の長さの比が分類上重要である。なお、縫合線が3対ある場合もある[3]。腹部の後端は平滑でくぼみや突起がない[3][4][5]。腹尾節は台形~半円形であり[6]、末端は円形であるが、カドバリコツブムシのみ三角形(鋭角)[3]。
胸脚(歩脚)などの関節肢では、節が先端側に位置する隣の節と接している部分(つまり関節部分)を末端(distal[7])といい、とくに隅は角(distal corner)という。体を側面から見たときの胸脚において、節における腹側の輪郭を内縁(inner margin)と表現する。そして、体を側面から見て節を平面的に見たときに、先端側の末端における、腹側の角を内縁角(inner distal corner)と呼ぶ。反対に、背側の輪郭を外縁(outer margin)と表現し、先端側の末端における、背側の角を外縁角(outer distal corner)と呼ぶ。
左右の触角が基部で接しているかどうかは本属の分類形質の一つ。第1触角の基部は特別に大きくはならず普通の形[3][6]。第2触角の鞭節の節の数は淡水産のイソコツブムシでは最も重要な分類形質である。剛毛が可動葉と大顎髭の間にある。顎脚に鉤刺という突起をもつこともある。この本数は本属の重要な分類形質である。顎脚にある大きな触肢として顎脚鬚があり、決定的ではないが分類形質であるほか、他属間の分類に使われる[3]。顎脚鬚の第2-4節の内縁が突出する[3][4]。第2小顎にある底節内葉、基節内葉、基節外葉の、剛毛や、歯、羽状剛毛は本属の分類形質である[3]。
胸脚の基節以降の節は分類形質である。指節は爪になっており、複数に分岐していることも多い。第1胸脚(perepopod1)は第7体節に付属する歩脚で、基本的に歩脚の中で最も短い。基節の内縁角の剛毛と、長節の外縁角の剛毛の、本数及びその様相は、決定的な分類形質である。第2胸脚(perepopod2)は第8体節に付属する歩脚で、前節は内側が膨らむ種とそうでない種が存在し、分類形質として扱われる。第7胸脚(perepopod7)は第13体節に付属する歩脚で、基本的に歩脚の中で最も長い[3]。
第4~5腹肢は横向きのしわがあり[6]、内肢のみが肥厚するが[3][4][6]、第3腹肢に呼吸用の肥厚が無い[3][4]。尾肢の内肢及び外肢の縁は滑らかである[4]。
研究史
イソコツブムシの仲間の存在は古くから知られていたようであり、普通種であるGnorimosphaeroma oregonenseは古くから知られ、記載は1853年のことである。この種類はExosphaeroma属やNeosphaeroma属などのコツブムシ科の諸属と混同・混乱が起きていたため[3]、1954年にアメリカの海洋学者であるRobert James Menziesによって本属が設立され、彼は当時コツブムシ属に分類されていた G. oregonense を基準種に指定した[2][3]。なお、上記2つの属とイソコツブムシ属は外部形態によって明確に区別することが可能であり、2つの属はイソコツブムシ属と違って、イソコツブムシ属特有の腹節で側縁に達する2本または3本の縫合線が存在せず、第3腹肢に呼吸用の厚みがある。また、Neosphaeroma属に関しては、イソコツブムシ属と違って、尾肢外肢先端が劣ることでも区別可能[3]。
かつて、海洋種は全てG. oregonenseと同定されていたが、産地による形態の変異が確認され、学名的に混乱が生じたため、1969年にフランスの研究者であるHoestlandtが普通種であるところのイソコツブムシ(Gnorimosphaeroma rayi)を記載し、これにてイソコツブムシ属の分類的混乱はいったん収束をみた。なお、G. oregonenseは日本には生息していないようである。その後、1985年にKwon & KimはG. rayiで知られていた2つの個体群のうち一方をフタゲイソコツブムシ(Gnorimosphaeroma hoestandtli)として記載した。1933年に記載されていたマルコツブムシ(Gnorimosphaeroma ovatum)とともに、これらの研究で、日本の海岸で普通にみられるとされる種であるイソコツブムシ、フタゲイソコツブムシ、マルコツブムシが出揃った。韓国でコツブムシ研究が進む中で、イソコツブムシ属の検索表が示され、布村昇氏はこれに準拠して日本中のイソコツブムシ属を分類・記載した。その過程で多くの純淡水を好む種が記載された。しかしながら、種の間にある形態的差異の多くは大変微々たるものであり、地理的変異や成長段階による変異の研究が待たれるところである。また、遺伝子解析による個体群解析も必要であるとされる[3]。
適応
淡水種が多く生息するのは環日本海地域であるが、これは氷期に日本海が閉ざされて淡水化したことでイソコツブムシ属が淡水に適応し、その結果、その子孫が日本海流入河川に生息しているのではないかと考えられている[3]。特に約7万年前から始まった最終氷期には、日本海の海面は現在よりも130mも下がったと考えられているため、対馬海峡や津軽海峡は陸地になったか狭い水路のようなものになったと考えられ、この時期の日本海は、流れ込む河川によって淡水化が進んだ可能性が高いと考えられている。そのため、もともと日本海沿岸に生息していたイソコツブムシ属がこの時期に場所によって淡水や汽水に適応した可能性は大いにある。約2万年前には津軽海峡が太平洋とつながり、日本海に海水が流入するようになり、約1万円前には対馬海峡も開き、8000年前には完全に海に戻ったと考えられている。その結果、淡水や汽水に適応したイソコツブムシ属は日本海に流入する河川に取り残され、海を越えて移動できないため、河川同士の遺伝的交流がなくなり、分化が進んで多くの淡水生・汽水生イソコツブムシ属が誕生したと推測される[8]。
一方で、日本海に流入しない河川に生息する種は、縄文海進に代表される海進の後に陸水に取り残され、淡水種になったのではないかと考えられる[3]。
海産種は色彩が豊かなのに対し、汽水・淡水種は一様に褐色系である。これは、海産種が、磯、海藻、サンゴなどの刺胞動物、海綿動物などにはりつくため、その環境に合わせて体色が発達したのに対し、汽水・淡水種は、泥や砂の底にいるため、発達しなかったからではないかと考えられている。ところで、海産種は淡水種に比べて、第2小顎や、第1胸脚の基節と長節の剛毛数が多い。これは、浮遊物が乏しい海では浮遊している食べ物を摂取することが困難であるため、剛毛を発達させて、浮遊物を採捕しやすくしているのではないかと考えられている。また、海産種は汽水・淡水種に比べて、尾肢は外肢が長く、触角も長い傾向にある[3]。