ティトゥス・リウィウスもプルタルコスも、ウェイイのローマに対する敵意は、ウェイイに属すると考えていたフィデナエに勝利したことから始まった[1]。リウィウスがウェイイの名前に触れるのはこのとき(紀元前8世紀)である。
フィデナエがローマとの戦いに苦しんでいるとき、ウェイイはこれを支援することはなかった。しかし、一旦ローマに占領されてローマ領となると、フィデナエに対する権利の主張を始めた[1]。
プルタルコスは、ウェイイは軍を二つに分け、一方でフィデナエを守るローマ守備隊を攻撃し、もう一方でロームルスが率いる野戦軍を攻撃したと述べている[2]。フィデナエではウェイイ軍は一定の勝利を収め、ローマ兵2,000を殺害した。しかし、ロームルスとの戦いでは、8,000を失ってウェイイ軍は敗北した[2]。翌日にフィデナエ領内で決戦が行われたが、ロームルスは優れた戦術と勇気を見せ、ローマ軍は大勝した。3日目に最後の戦いが行われ、14,000が戦死した[3]。野戦に勝利すると、ロームルスはウェイイ軍を追跡して城壁まで迫ったが、ウェイイに対する攻撃は行わなわず周囲を略奪した[4]。ローマはセプテム・パグス(ティベリーナ島の西)とサリーネをの割譲を条件に[5]、ウェイイと100年間の平和条約を締結した[6][7]。