ウットマン

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現役期間 1991年 - 1998年
欧字表記 Utto Man[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
ウットマン
現役期間 1991年 - 1998年
欧字表記 Utto Man[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1989年5月24日[1]
死没 不明
抹消日 2000年4月1日[2]
インターグシケン[1]
アメリカンフリオ[1]
母の父 フエートメーカー[1]
生国 日本の旗 日本鹿児島県鹿屋市[1]
生産者 松元登[1]
馬主 上野助治
→あたごホース(有)[1]
調教師 高橋鐡雄(新潟
荒川友司笠松
→千葉次男(水沢
→不破敏行(笠松)
→藤木一男(金沢
→山田勇(佐賀[1]
競走成績
生涯成績 78戦21勝[1]
獲得賞金 1億3881万9000円[1]
勝ち鞍 新潟ダービー(新潟・1992年)
青山記念(新潟・1992年)
全日本サラブレッドカップ(笠松・1993年)
名古屋大賞典名古屋・1994年)
霧島賞(佐賀・1997年)
霧島賞(荒尾・1998年)
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ウットマンとは日本競走馬である[1]。当時の地方競馬ではウッドマンの偽物として有名だった[3]。単なる珍名馬と異なり、重賞を6勝している。

  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISおよび地方競馬情報サイトおよび参考文献

1991年9月10日に公営新潟の新潟競馬場で3歳でデビューし、見事勝利する。その後も順調に勝利を重ね、公営新潟の4歳クラシック候補に名乗りを上げ、1冠目の新潟皐月賞は4着に破れるものの、新潟ダービーでは見事勝利を果たし、重賞初制覇。その後は当時東北地区交流[4]になっていた水沢の東北優駿に初遠征するも、モリユウプリンスの5着に敗北、地元で1戦挟んで挑戦した地方競馬全国交流重賞で公営中京のターフチャンピオンシップ[5]で初芝を経験するも8着に敗北。その後は公営新潟の古馬最強決定戦の新潟グランプリに挑戦するも古馬の壁に阻まれ8着に敗北したものの、公営新潟の3冠目である青山記念は見事勝利し、公営新潟で2冠を達成した。

公営新潟で2冠を達成した後は笠松競馬(荒川友司)に所属した。明けて5歳になってからレースを使われ、順調に勝利していく。1993年11月23日には当時地方競馬全国交流重賞であった全日本サラブレッドカップに挑戦し、見事勝利している。この中にはJRAでも勝利を挙げ、当時東海地区最強だったトミシノポルンガ(4着)も含まれていた。その3戦後には東海地区限定重賞の名古屋大賞典に出走し、これも勝利し、重賞4勝目を挙げる。その後は岩手競馬→笠松競馬(不破敏行)→金沢競馬と転厩するも、目立った成績は挙げられず、金沢競馬転厩時に馬主も変更になっている。

1996年7月16日の金沢競馬のレースを最後に佐賀競馬に転厩する。馬は全盛期より衰えていたと見られるが、佐賀ではそこそこの成績を残し、1997年に佐賀競馬場で、1998年に荒尾競馬場で行われた九州産限定JRA・地方競馬交流重賞の霧島賞[6]を連覇し、重賞勝利数を6とする。その後は勝利を挙げられず、1998年11月22日のレースを最後に登録を抹消された。

登録抹消後は佐賀県で乗馬になっているという。

エピソード

  • 特記事項なき場合、本節の出典は参考文献
    • この馬はウッドマンの偽物として当時有名な馬だった。参考文献に記事を書いたライターが荒川友司調教師管理の笠松競馬在籍時代に他の所有馬の能検を見に競馬場に来ていたウットマンの馬主にウットマンの馬名について聞いたところ、「馬名は調教師につけてもらった」と回答されたという。馬主はこの馬に限らず全ての馬について調教師に馬名をつけてもらっているという。
    • 馬主はフエートメーカーを輸入し、馬主として馬を所有していた。
    • 馬主は当時全国の地方競馬場に100頭ほど馬を所有していたという。

血統表

脚注・出典

参考文献

外部リンク

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