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エディ・テイラー

アメリカ合衆国のブルース・ギタリスト、歌手 (1923-1985) From Wikipedia, the free encyclopedia

エディ・テイラー(Eddie Taylor、1923年1月29日 - 1985年12月25日[2])は、アメリカ合衆国のブルース・ギタリスト、歌手である[3]。

原語名 Eddie Taylor
出生名 Edward Taylor
別名 "プレイボーイ"・テイラー[1]
概要 エディ・テイラー, 基本情報 ...
エディ・テイラー
テイラー(1970年ウィスコンシン州のフェスティバルにて)
基本情報
原語名 Eddie Taylor
出生名 Edward Taylor
別名 "プレイボーイ"・テイラー[1]
生誕
死没
ジャンル シカゴ・ブルース
職業 ミュージシャン
担当楽器
  • ギター
  • ボーカル
活動期間 1955年 - 1985年
レーベル
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戦後のシカゴ・ブルース・シーンで活躍したマディ・ウォーターズやジミー・リードのようなスターとなることはなかったが、彼はシカゴのシーンには欠かせない存在であった。

来歴

1923年1月29日、ミシシッピ州ベノイトに生まれた。少年時代にテイラーは独学でギターを習得。彼のギターは伝統的なミシシッピ・デルタのスタイルに深く根ざしたものであった。キャリア初期には、彼はミシシッピ州リーランド界隈の会場で演奏し、ここで友人のジミー・リードにギターを教えた[4]。

1949年、テイラーはメンフィスを経由してシカゴに移住した[5]。そこでスヌーキー・プライアー、フロイド・ジョーンズと出会い、旧友のジミー・リードとも再び共演するようになった[5]。彼は特にリードとは1953年よりレコーディングも行ない、彼の多くのヒット曲にその演奏を刻んでいる[6]。他彼はジョン・リー・フッカー、ビッグ・ウォルター・ホートン、サム・レイなどとも共演をしている[7]。

彼は1955年、リードと同じヴィージェイ・レコードと契約し、シングル「Bad Boy」でソロ・デビューを果たした[5]。翌1955年の「Big Town Playboy」は地元でそこそこのヒットとなったものの、その後もリードのようにチャート入りをするヒットには恵まれなかった[5]。

ヴィージェイでは4枚のシングルをリリースしており[8]、その殆どは1971年リリースのエルモア・ジェームスとのカップリングLP『South Side Blues』で聴くことができる[9]。これらの曲にはジミー・リードを始め、ヒューバート・サムリン(gt)、ジョージ・メイウェザー(harp)らが参加している[9]。

1970年代に入ると、テイラーはイギリスのビッグ・ベア・レコードが主催したアメリカン・ブルース・レジェンズ'74ツアーでヨーロッパに渡って演奏し、その様子は同名のLPとしてリリースされた。同レーベルからは、1975年ロンドン録音のソロ作『Ready For Eddie』もリリースしている[10]。

1977年12月、テイラーはルイス・マイヤーズ、デイヴ・マイヤーズ、オディ・ペインらと来日し、日本各地で公演を行なった[11]。そのツアーの京都公演が翌1978年にライヴ・アルバム『Bad Boy A Long Way From Chicago』としてリリースとなっている。このアルバムは後に『Live In Japan, 1977』とのタイトルでCD化され、2009年の再発盤では曲目も大幅に増えている[12]。

テイラーは、1989年リリースのサニーランド・スリムのアルバム『Be Careful How You Vote』の数曲に参加しており[13]、またスリムとは1980年代にはツアーなどでも共演している。

彼はジョー・カーター、カンザスシティ・レッド、ビッグ・ジョン・レンチャーらとアルバム『Original Chicago Blues』をレコーディングし、1982年にJSPレコードよりリリースとなった[14][15]。

テイラーは1985年12月25日、シカゴで死去した。62歳であった[2]。彼はシカゴの郊外アルシップのレストヴェール墓地に埋葬されている[16]。

評価

彼は没後の1987年、ブルースの殿堂入りをしている[17]。

2010年には、テイラーを讃え、生まれ故郷のミシシッピ州ベノイトに、ミシシッピ・ブルース・トレイルの標識(マーカー)が設置された。標識番号は101番である[18]。

家族

テイラーの妻ヴェラ(1943年-1999年)は、歌手、ソングライターで[19]、ブルースマンのエディ・"ギター"・バーンズとジミー・バーンズの姪であった[17]。テイラーの息子エディ・テイラー・ジュニア(1972年-2019年)はシカゴで活躍したブルース・ギタリスト/歌手[20]、義理の息子のラリー・テイラーはドラマー/歌手であった[21]。また娘のデメトリア・テイラーもシカゴで活躍するブルース歌手である[22]。

ディスコグラフィー

[23]

リーダー作

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年 タイトル レーベル 備考
1972年 『I Feel So Bad』 Advent 1972年6月、ハリウッド録音
1975年 『Ready For Eddie』 Big Bear 1974年2-4月、ロンドン録音
1978年 『Bad Boy A Long Way From Chicago』 P-Vine 1977年12月17-18日、京都大学西部講堂でのライヴ録音。ルイス&デイヴ・マイヤーズ、オディ・ペイン参加。
1980年 『My Heart Is Bleeding』 L+R 1980年1月21日、シカゴ録音
1987年 『Still Not Ready For Eddie』 Antone's
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コンピレーション・アルバム

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年 タイトル レーベル 備考
1975年 『Street Talkin'』 Muse ヴィージェイ音源のコンピレーション。エルモア・ジェームスも収録。
1981年 『Big Town Playboy』 Charly ヴィージェイ音源のコンピレーション
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コラボレーション・アルバム

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年 タイトル レーベル 備考
1966年 『Floyd Jones/Eddie Taylor - Masters Of Modern Blues Volume 3』 Testament 1966年6月、シカゴ録音
1969年 『Goin' To Chicago』 Testament 4組を収録したコンピレーション。シカゴ録音。フロイド・ジョーンズとテイラーの楽曲3曲を収録。
1971年 『South Side Blues』 Cobblestone 1950年代シカゴ録音。B面7曲がテイラーで、ジョージ・メイウェザー、ジミー・リードらと共演している。
1974年 『American Blues Legends '74』 Big Bear 1974年2-3月、ロンドン録音。Eddie Playboy Taylor名義で2曲収録。
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客演アルバム

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年 タイトル レーベル 備考
1958年 『Jimmy Reed - I'm Jimmy Reed』 Vee-Jay
1959年 『John Lee Hooker - I'm John Lee Hooker』 Vee-Jay
1967年 『Jimmy Reed - Soulin'』 BluesWay
1968年 『Jimmy Reed - Big Boss Man』 BluesWay
1969年 『Carey Bell - Carey Bell's Blues Harp』 Delmark
1969年 『Jimmy Reed - Down In Virginia』 BluesWay
1972年 『Big Walter Horton With Carey Bell - Big Walter Horton And Carey Bell』 Alligator
1973年 『Carey Bell - Last Night』 BluesWay
1982年 『Joe Carter & Kansas City Red Featuring Eddie Taylor & John Wrencher - Original Chicago Blues』 JSP カンザスシティ・レッドの6曲に参加。
1989年 『Sunnyland Slim - BeCareful How You Vote』 Earwig
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脚注

外部リンク

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