スヌーキー・プライアー
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| スヌーキー・プライアー | |
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プライアー(1997年、ロング・ビーチ・ブルース・フェスティバルにて) | |
| 基本情報 | |
| 原語名 | Snooky Pryor |
| 出生名 | James Edward Pryor |
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| 担当楽器 | |
| 活動期間 | 1945年 - 2006年 |
| レーベル | |
スヌーキー・プライアー(Snooky Pryor、1921年[1]または1919年9月15日[2][3] - 2006年10月18日)はアメリカ合衆国のブルース・ハーモニカ奏者、歌手である。シカゴ・ブルースのスタイルで知られる[4][5]。現在は一般的であるアンプに接続したハーモニカを小型マイクと共に手で覆ってプレイする奏法を編み出したと彼は主張していたものの、彼の初期のレコード(1940年代後期)ではその奏法は使用していない。
プライアーは、1921年9月15日、ミシシッピ州クイットマン郡のランバートとデントン付近で生まれた[1]。生年については、1919年とする資料も存在する。出生名はジェイムズ・エドワード・プライアー[8]。「スヌーキー」は元々幼なじみだったジミー・ロジャーズのニックネームで、後にシカゴで共演者となったフロイド・ジョーンズがプライアーをそう呼ぶようになったという[3]。この名前には具体的な意味はないが、複数のアーティストがニックネーム、芸名として使用しており、可愛い、愛嬌のあるという印象を与える名前である[9]。
彼は、8歳の頃[8]、牧師だった父親の反対を押し切り、ハーモニカとブルースを始めた[3][10]。サニー・ボーイ・ウィリアムソンI(ジョン・リー・ウィリアムソン)およびサニー・ボーイ・ウィリアムソンII(アレック・フォード・"ライス"・ミラー)に影響を受けながらカントリー・ブルースのハーモニカ・スタイルを身に着けている[8]。
プライアーは、1930年代の中頃にミシシッピ州ヴァンスおよびその周辺で3、4人のハーモニカ奏者による集まりでプレイした。その中には、当時近郊に住んでいてまだギターを始めていなかったジミー・ロジャーズもいたという[11]。プライアーは1940年にシカゴに移住している[8]。
米軍在籍時に彼はPAシステムに通してビューグル(信号ラッパ)を吹いていた。それがきっかけとなり、ハーモニカでも同様のことをやり、アンプリファイド・ハーモニカの誕生に繋がったという。しかし、ハーモニカを最初にアンプに繋いだのはリトル・ウォルターであるとする説が一般的である。1945年、軍を除隊すると、彼は自分のアンプを入手した。シカゴのマックスウェル・ストリートの野外でハーモニカをプレイするようになり、シカゴ・ブルースのシーンでレギュラーとして活躍するようになっている。
プライアーは1948年に初のレコーディングを行なっているが[4]、これは戦後のシカゴ・ブルースの最も初期のレコーディングの部類に入る。このときレコーディングされた楽曲にはギタリストのムーディー・ジョーンズが参加した「Telephone Blues」、「Snooky & Moody's Boogie」、それに歌手でギタリストのフロイド・ジョーンズが参加している「Stockyard Blues」と「Keep What You Got」がある[4]。中でも「Snooky & Moody's Boogie」は歴史的な意味を持つとされる。プライアーは、リトル・ウォルターが直接、この曲のリフをコピーし、彼の1952年のR&Bヒットとなったインストゥルメンタル曲「Juke」に使ったと主張する[12]ものの、ウォルターが彼をコピーしたのかについては明確な情報はないし、このリフ以外は類似性は希薄である。
1950年代には、プライアーは南部をレギュラーでツアーして廻っている[1]。1967年にはプライアーはイリノイ州 のユーリンに移住した。彼は1960年代末には音楽活動から引退し、大工として働いた[13]。
プライアーのカムバックを期待する周囲の声は大きく、1970年代に入ってから活動を再開することとなった[3]。1973年1月に彼はホームシック・ジェイムズとともにアメリカン・ブルース・レジェンズ'73ツアーに出てヨーロッパ各地で演奏した。このツアー中には、彼らはアルバム『Homesick James & Snooky Pryor』をジム・シンプソンのレーベル、ビッグ・ベアにレコーディングしており、この際プライアーはソロ作『Shake Your Boogie』もレコーディングした[14]。
プライアーは、アリゲーター・レコードから1995年にリリースとなったボブ・マーゴリンのアルバム『My Blues And My Guitar』にゲスト参加している[15]。
ブルース・ファンの間で彼の音楽に対する関心が再び高まったことを受け、彼は1990年代以降、死去するまでしばしばレコーディングをするようになった。2006年10月18日、プライアーはミズーリ州ケープジラードの病院で死去した[3]。85歳[8](あるいは1919年生まれ説を取ると87歳)であった。
プライアーの知られた楽曲としては「Judgment Day」(1956年)、「Crazy 'Bout My Baby」(1987年、『Snooky』より)、「Why You Want To Do Me Like That」(またはHow'd You Learn To Shake It Like That ?)(1987年、『Snooky』などより)、「Shake My Hand」(1999年)などがある。
プライアーの息子リチャード・"リップ・リー"・プライアーもブルース・ミュージシャンであり、彼が住むイリノイ州カーボンデイルを中心に活動を続けている[16]。
来日公演
プライアーは1996年、第3回パークタワー・ブルース・フェスティバルで来日公演を行なっている[17]。