バグラト2世 (タオ大公)
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| バグラト2世 ბაგრატ II | |
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タオ大公 | |
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在位期間 961年 – 966年 | |
| 先代 | アダルナセ5世 |
| 次代 | ダヴィト3世 |
| 死亡 | 966年 |
| 王朝 | バグラティオニ朝 |
| 父親 | アダルナセ5世 |
| 母親 | クラルジェティ大公ダヴィト1世の娘 |
| 信仰 | ジョージア正教会 |
バグラト2世(ジョージア語: ბაგრატ II、ジョージア語ラテン翻字: Bagrat II、966年没)は、10世紀ジョージアの貴族。961年から966年に没するまで、大公(エリスタヴト=エリスタヴィ)としてタオを統治した。
バグラティオニ家における彼の地位や系譜については史料上の混乱が存在する。父アダルナセ5世に対するクーデター後に大公位に就いたが、その地位を長く維持することはできなかった。
バグラト2世は、タオ大公アダルナセ5世と、クラルジェティ大公ダヴィト1世の娘との間に生まれた長男である[1]。アダルナセ5世はビザンツ帝国の高位称号であるクロパラテスの称号を持ち、ジョージア諸国の有力な政治指導者であった。この時期、カルトリはアブハジア王国に占領されていた。
バグラト2世の生涯に関する記録は乏しいが、961年に弟ダヴィトとともに父アダルナセ5世に対する陰謀に加わったことが知られている[2]。この陰謀により、アダルナセ5世は不本意ながら退位させられ、修道院に入ることを余儀なくされた[2]。このクーデターにより、バグラト2世はタオ大公となったが、ビザンツ帝国の称号「クロパラテス」がバグラト2世に引き継がれたという記録はない。
バグラト2世の短い治世についても、記録はほとんど残っていない。そのため、エリスタヴト=エリスタヴィ、すなわち「公の中の公」という称号を持っていたにもかかわらず、バグラト2世はこの期間に特筆すべき功績は確認できない。ただし、この時期はカルトリがアブハジアに占領されていたため、バグラト2世はバグラティオニ家における有力な一員であったと考えられている。
同時代の文筆家ギオルギ・メルチュレによる聖人伝『グリゴル・ハンズテリの生涯』は、バグラト2世を「ジョージア文化の保護者」、「教会の建設者」、「聖典を探し集める者」として記している[3]。バグラト2世は、オシュキにある大聖堂の創設者であると考えられている。958年から966年にかけて、バグラト2世は『グリゴル・ハンズテリの生涯』を改訂し、いくつかの奇跡の記述を追補した。
バグラト2世は966年に死去したと推定される[4]。彼には子供がいなかったため、その領地は弟のダヴィトに引き継がれた。ダヴィトは後にクロパラテスとなった。