エルネスト・コロミナス
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エルネスト・コロミナス | |
|---|---|
| Ernest Corominas | |
| 生誕 |
1913年2月1日 |
| 死没 |
1992年1月24日(78歳没) |
| 国籍 |
|
| 研究分野 | 数学 |
| 研究機関 |
ブエノスアイレス大学 (1939年 - 1941年) クージョ国立大学 (1941年 - 1946年) フランス国立科学研究センター (1947年 - 1952年) スペイン国立研究評議会 (1952年 - 1955年) プリンストン高等研究所 (1955年 - 1956年) バルセロナ大学 (1956年 - 1960年) ベネズエラ中央大学 (1960年 - 1964年) リヨン大学 (1964年 - 1982年) |
| 出身校 |
パリ大学 バルセロナ大学 (1932年 - 1936年) |
| 博士論文 | Contribution à la théorie de la dérivation d'ordre supérieur (1953) |
| 博士課程指導教員 | アルノー・ダンジョワ |
| 博士課程指導学生 |
ロベール・ボンネ モーリス・プゼ |
| プロジェクト:人物伝 | |
エルネスト・コロミナス・イ・ヴィニョー (西: Ernest Corominas i Vigneaux, Ernesto Corominas[1]、1913年2月1日 - 1992年1月24日 [2])は、スペイン・フランスの数学者。
ペレ・コロミナスとセレスティナ・ヴィニョー・イ・シビルスの息子としてバルセロナに生まれた。きょうだいにジョアン・コロミーナス、ジュリア・コロミナス・イ・ヴィニョーがいる。バルセロナ大学にて建築学と数学を学び1936年に卒業した[3]。スペイン内戦時はスペイン第二共和政陣営で工学部門の将校として活躍した。1939年、フランスに逃亡し、1940年に南アメリカに移住した。チリで建築家として6か月働き、またフリオ・レイ・パストールの紹介でブエノスアイレス大学の講師となった。1946年、メンドーサにてチェ・ゲバラのいとこのエディト・ゲバラ(Edith Guevara)と結婚した[2][4]。
1946年、Über Peano’s verallgemeinerte Ableitungen でアルノー・ダンジョワとジュゼッペ・ペアノの微分法を発展させた[2]。
フアン・ペロンの政治によって、ブエノスアイレス大学を去ることとなった。コロミナスの論文に感銘を受けたダンジョワは、コロミナスにパリの国立科学研究センターでの職務を提供した[2]。微分法の研究を続け、1948年には Sur un théorème de M Denjoy を発表した。1952年にパリ大学でアルノー・ダンジョワの下、博士号を獲得した。その後、バルセロナ大学、プリンストン大学、カラカスの大学で講師職を歴任し、リヨン大学に落ち着いて1966年にフランス市民権を獲得した。
1953年、グッゲンハイム・フェローシップを授与された。