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エンシスハイム隕石

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発見国 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
フランスの旗 フランス(現在)
発見場所 アルザス・エンシスハイム
総回収量(TKW) 127kg
エンシスハイム隕石
Ensisheim
エンシスハイム隕石の画像
発見国 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
フランスの旗 フランス(現在)
発見場所 アルザス・エンシスハイム
落下日 1492年11月7日
総回収量(TKW) 127kg
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学
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『阿呆船』で知られる詩人セバスティアン・ブラント(Sebastian Brant)による記録

エンシスハイム隕石(エンシスハイムいんせき、: Ensisheim meteorite)は、1492年11月7日神聖ローマ帝国前方オーストリアアルザス地方の城壁に囲まれた町エンシスハイム(現在のフランスオー=ラン県ゲブヴィレールエンシスハイムフランス語版)郊外の小麦畑に落下した隕石。LL6普通コンドライトに分類される石質隕石[1]、落下の目撃記録のある隕石としてはヨーロッパで最も古い隕石とされる[2]

1492年11月7日午前11時から正午にかけて、高速で大気に突入し、光と大音響を残してエンシスハイム近くの農園に落下した[2]。爆発音はドナウ、ネッカー、アーレ、ラインの谷に沿って響き渡り、150キロメートル以上離れたスイスのウーリ州でも聞こえたという記録が残っている[3]。落下した時点ではその質量は127キログラムあり、形状は三角形で、落下地点の小麦畑に1メートルの穴を作ったと伝えられる[2]。穴から隕石が引き上げられると、エンシスハイムとその近くの村人によって隕石が削り取られたが、時の神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の息子マクシミリアンのためにこの石を保存すべく、地元の役人がそれ以上の破壊を押し留めた。

阿呆船 (Das Narrenschiff)』で知られる風刺作家ゼバスティアン・ブラント は、1492年の終わりまでに隕石の落下を題材とした自作の詩を載せた4篇のチラシ (: brodesheets, : Flügblatter) を、バーゼルロレーヌストラスブールで配布した[3]。ブラント作の詩篇は、隕石の一部とともにバチカンのピッコロミニ枢機卿(のちの教皇ピウス3世)へと送られた。

画家アルブレヒト・デューラーは、1494年の油彩画『荒野の聖ヒエロニムス』の裏面に流星とも彗星とも取れる天体現象を描いており[4]、1492年11月当時バーゼルに住んでいたデューラーがエンシスハイム隕石による火球を描いたものとする説もある[3]。ハルトマン・シェーデルが1493年に刊行したニュルンベルク年代記の見開き257にもこの隕石の落下が描かれている[3]

エンシスハイムの旧市庁舎の中にある市立博物館 musée de la Régence に、現存する53.831 キログラムの隕石が展示されている[2]。その他、ヨーロッパを中心に切り取られた破片が保存・展示されている[2]

出典

関連項目

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