オケオ

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オケオ文化に関する遺跡群の地図(ホーチミン市歴史博物館)

オケオベトナム語: Óc Eo/ 喔㕭クメール語: អូរកែវ, ラテン文字転写: O'keo)は、ベトナム南部のメコンデルタ地方、アンザン省南部のトアイソン県にある考古学的な遺跡群。また今日において、オケオ市鎮ベトナム語版はトアイソン県を構成する行政区画である。「オ・ケオ」はクメール語で「水晶の運河」を意味する。

1世紀から7世紀にかけて、扶南国の最も賑わった港があったとされる。考古学用語の「オケオ文化」は、この地で発掘された遺物によって特徴づけられる、古代のメコンデルタにおける文明の物質的痕跡を指す。

今日見られる高床式水上住宅。オケオより45kmほど北のアンザン省チャウドックにて(2012年)
オケオとアンコール・ボレイを結ぶ古代の運河

オケオの発掘は、フランスの考古学者が航空写真から遺跡を見出した後、1942年2月10日に開始された。最初の発掘隊を率いたのはルイ・マレレ英語版である。遺跡群の範囲は450ヘクタールに及んでいた。

オケオは、メコンデルタの低地平原を縦横に結ぶ古代の運河ネットワークの中に位置しており、オケオと海の港を繋ぐ運河の一つは、北北西に約67km離れたアンコール・ボレイまで繋がっていた。オケオは運河によって南北に分断され、更に4つの運河が東西に走り、その運河はメコンデルタ地域に現在でも見られる高床式の水上住宅に囲まれていたと思われる[1]

オケオの文化を反映した遺跡群はベトナム南部全域に広がっているが、特にホーチミン市より南西のメコンデルタ地域に集中している。現在のオケオ市鎮から離れた場所での最も重要な遺跡群は、メコン川の東の流れ(ソンティエン)に位置する、ドンタップ省カオライン市の東、同省タップムオイ県にあり、ここでは6世紀のサンスクリット碑文が発見されている。

また、1958年に撮影された航空写真によって、扶南時代にはメコン川の支流が、タケオの周辺からタイランド湾に流れ込んでいたことが証明された。タケオは古くは海岸に面していたが、後に堆積によって海岸線と離されていったと見られている。扶南時代のオケオは運河でタケオと繋がっており、オケオもタイランド湾の深部へつながる経路を持っていたことになる[2]。また、航空写真によって明らかになったこのメコン川の河口部は、プトレマイオスが「ゲオグラフィア」で言及した、メコン川の西の支流(プトレマイオスはコッティアリス(Cottiaris)と呼んだ)に属する河口分流の「シーナス(Saenus)」である可能性があるとされる[3]

発掘品

オケオで発見されたヴィシュヌ神の像。6世紀から7世紀のもの(ベトナム歴史博物館所蔵)

オケオでの発掘品には、陶器、道具類、宝石類、宝石やコインを作るための鋳物類、宗教的な像などが含まれている[4]。また、発掘品の中にはクシャーナ朝ガンダーラの青銅の仏頭、ローママルクス・アウレリウス金貨なども含まれている[5]。多くの発掘品はホーチミン市のベトナム歴史博物館英語版の展示品となっている。マレレによって発掘されたオケオの銀貨には、明らかに扶南で鋳造された、ハンサもしくはカンムリセイランをかたどったものが8枚含まれる[6]

オケオと扶南

出典

関連項目

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