オレゴン郡 (ミズーリ州)
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| ミズーリ州オレゴン郡 | |
|---|---|
郡のミズーリ州内の位置 | |
州のアメリカ合衆国内の位置 | |
| 設立 | 1845年2月14日 |
| 郡名の由来 | オレゴン準州 |
| 郡庁所在地 | アルトン |
| 最大の都市 | セイヤー |
| 面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
2,050 km2 (791.59 mi2) 2,050 km2 (791.40 mi2) 0 km2 (0.18 mi2), 0.02% |
| 人口 - (2010年) - 密度 |
10,881人 5人/km2 (13人/mi2) |
| 標準時 | 中部: UTC-6/-5 |
オレゴン郡(英: Oregon County)は、アメリカ合衆国ミズーリ州の南部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は10,881人であり、2000年の10,344人から5.2%増加した[1]。郡庁所在地はアルトン市(人口871人[2])であり、同郡で人口最大の都市はセイヤー市(人口2,243人[3])である。オレゴン郡は1845年2月14日に組織化され、郡名はアメリカ合衆国北西部のオレゴン準州に因んで名付けられた。
郡内にはマーク・トウェイン国立の森の広大な領域が入っており、州内のどの郡よりも国有林面積が多い。また連邦政府が保護する原生地アイリッシュ原野もある。オザーク・トレイルやホワイツクリーク・トレイルなど散策のコースも豊富にある。州内唯一の国立原生景観河川であるイレブンポイント川ではカヌーや釣りが楽しめる。
セイヤーの西にあるグランドガルフ州立公園には崩壊したカルスト地形の峡谷がある。
南北戦争の時、オレゴン郡の住人が3つの機会に南軍のために出陣した。
1861年、ミズーリ州軍にマクブライドの第7師団第2歩兵連隊が結成された。オレゴン郡住人はA、D、F、G中隊を立ち上げた。1861年8月10日、スプリングフィールド近くでおきたウィルソンズ・クリークの戦いでは勝利した。
1862年初期、ミズーリ州軍が解体され南軍の正規部隊が結成された。2月と3月、オレゴン郡住人は第4ミズーリ歩兵連隊のD中隊とI中隊に編入された。第4ミズーリ歩兵連隊はミシシッピ州に派遣され、1862年10月3日から4日にコリンスの戦いに参戦した。勇敢なオレゴン郡出身者も病気と戦闘で大きな損失を出し、1863年7月4日にビックスバーグの包囲戦で南軍が降伏したときは、他の3万名とともに降伏した。
1864年の晩冬と春、マシュー・G・ノーマン少佐が別の連隊の編成を始めた。これらの兵士はジェイムズ・H・トレイシー中佐の北アーカンソー部隊と合流し、ミズーリ騎兵隊のフリストー連隊を構成することになった。バージニア州ラッパハノック出身のエドワード・T・フリストー大佐はその部隊を率いて、1864年秋にスターリング・プライス将軍が行ったミズーリ侵略に参加したが成果を上げられなかった。
オレゴン郡住人が加わったその他の部隊としてはミズーリ騎兵隊のフリーマン連隊と、隣のリプリー郡から出た第15ミズーリ騎兵連隊があった。極少数の者が北軍に加わった。オレゴン郡は戦中に北軍の襲撃やゲリラ兵の残虐行為で大きな被害を受けた。
地理
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は791.59平方マイル (2,050.2 km2)であり、このうち陸地791.40平方マイル (2,049.7 km2)、水域は0.18平方マイル (0.47 km2)で水域率は0.02%である[4]。
主要高規格道路
アメリカ国道63号線
アメリカ国道160号線
ミズーリ州道19号線
ミズーリ州道99号線
ミズーリ州道142号線
隣接する郡
- シャノン郡 - 北
- カーター郡 - 北東
- リプリー郡 - 東
- ランドルフ郡 (アーカンソー州) - 南東
- シャープ郡 (アーカンソー州) - 南
- フルトン郡 (アーカンソー州) - 南西
- ハウェル郡 - 西
| シャノン郡 | カーター郡 | |||
| ハウェル郡 | リプリー郡 | |||
| フルトン郡 (アーカンソー州) | シャープ郡 (アーカンソー州) | ランドルフ郡 (アーカンソー州) |
国立保護地域
- マーク・トウェイン国立の森(部分)
人口動態
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基礎データ
人種別人口構成
先祖による構成
年齢別人口構成
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世帯と家族(対世帯数)
収入収入と家計 |
教育
オレゴン郡の25歳以上の住民のうち、72.0%は高校卒以上の学歴を持ち、9.1%は学士以上の学位を持っている。